特集
2016/03/03(木)
二村ヒトシの映画でラブ&セックス考

【第22回】『キャロル』が浮かび上がらせる、恋愛の“光と闇”

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』『すべてはモテるためである』などの著書で恋愛とモテについて説き、アダルトビデオ監督としてあくまで女性目線での作品づくりに定評がある“女性と性”のエキスパート、二村ヒトシさん。そんな二村さんが毎月1回、新作映画からラブ&セックスを読み解く連載。第22回は、ケイト・ブランシェット&ルーニー・マーラ共演の愛の物語『キャロル』を斬る!

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(C)NUMBER 9 FILMS (CAROL) LIMITED / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2014 ALL RIGHTS RESERVED

恋愛映画が成立しにくい「現代」の、素晴らしい恋愛映画

『キャロル』で描かれる恋愛は、劇中のヒロインふたりの周囲の人々にとっては祝福しようがない反社会的な恋です。しかし映画を見終わった観客の多くはふたりを祝福するでしょう。
 
もしも『キャロル』が同性愛ではなく、人妻と若い男の不倫を描いていたとしたらどうでしょう。たとえば『紙の月』の物語と比較して考えてみたら。『紙の月』で宮沢りえが演じた人妻の夫(田辺誠一)も、キャロルの夫と同じように妻を愛せない男で、どちらの映画でもヒロインの人妻は「行動を起こす」わけですが、その結果は……。
 
あるいは逆に、妻からは愛されない既婚の中年イケメンが、独身の女性主人公から愛される。ここでは『海街diary』の堤真一と綾瀬はるかを思い浮かべていただきたいところですが、やはり男性既婚・女性独身の不倫がハッピーエンドとなるのは、現代においてなかなか困難です。
 
不倫の是非はともかく、近年の映画ではそもそも男女の恋を礼賛するような「恋こそが人生を良きものにする」「恋の力が悪に打ち勝つ」といった能天気なモチーフが描かれづらくなっていると感じます。世界中で大ヒットした『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でも主人公の若い男女は恋をしません。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でもヒロインとヒーローには戦いの過程で恋は芽生えません。
 
『アデル、ブルーは熱い色』も女性の同性愛についての美しい映画でしたが「女と女の関係であっても、依存してメンヘラになる女はいるし、回避してヤリチンになる女もいる」というシビアな状況が描かれました。『キャロル』の恋愛は女同士だったから良い恋愛だったのだ、なんてこともないようです。また『キャロル』原作者のパトリシア・ハイスミス(同性愛者であり『キャロル』の原作には私小説的な要素もあるとのことです)は、アラン・ドロンの出世作である『太陽がいっぱい』の原作者でもありますが、これは(現代の映画ではなく1960年の作品ですが)ある男の立場に憧れた男が「相手になりかわる」ために殺してしまうという、暗喩としての「男の同性愛」の悲劇でした。
 
しかしハイスミスの没後20年が経ってやっと映画化された『キャロル』は、近年まれにみる「やはり恋は、人生の力になる」という確かな説得力をもった作品です。この映画と、男女(あるいは同性)の恋が無惨に終わる映画との違いは、何なのでしょう?
 
『キャロル』のヒロインふたりは「支配/被支配」「回避/依存・嫉妬・執着」「強者/弱者」「恋される/恋する」の関係に陥っていない。つまりふたりは恋愛において、どちらも「被害者」になっていないのです。冒頭でキャロルに一目惚れをした、同性とはいえ既婚者に恋をしてしまった、つまり恋の開始点においては「弱者」であったテレーズは、キャロルに恋をして自分の世界の“闇”を知りましたが、“光”の依存症になることはありませんでした。
 
光は最終的には恋愛の相手からもたらされるものではなく、自分で作り出さなければならない。自分自身が「自分にとっての光」にならなくては、この恋が無駄になってしまう。そう気づいたテレーズは、もう弱者ではなかったのです
 
■今回の格言/恋の「悪い」ところは(不倫でなくとも)支配関係・依存関係・搾取関係が生じてしまいがちなこと。だが恋の「良い」ところは、相手の光を見ることで、それまで自分がいた世界が闇だったと気づくことができ、それが光を自力で作り出すきっかけになることです。

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