金曜日の毒母たちへvol.3―――ブリジット・バルドー、無邪気に息子を捨てたセックスシンボル
仏を代表するセックスシンボルでもある女優、ブリジット・バルドーが実の息子に訴えられたことは知る人も多い。ただの告白本が自らが産んだ子の憎しみを引きだしてしまった悲劇の背後には、母になることを頑なに拒否したバルドー自身の、子供のまま母親になってしまった哀しいまでの無邪気さがあった。
10代で繰り返した中絶
「BB」(=赤ちゃん)というニックネームはまさにそんな彼女にぴったりだった。そんなBBが母親になった。妊娠するのは初めてではなかった。17歳のとき最初の夫ロジェ・ヴァディムの子供を宿し、スイスで堕胎手術を受けている。2度目に妊娠して堕胎したときは大量に出血して病院に搬送された。そんな体験をしながら、『バベット戦争に行く』(1959)で共演したジャック・シャリエの子供がお腹にいると知ったとき、ブリジットはためらうことなく、恋人に内緒で堕ろそうとした。
だがどの医者も大スターの堕胎を請け負うリスク(仏では1974年まで人工妊娠中絶は違法)にしり込みして、BBにはもはや産む選択しか残されていなかった。BBは大きなお腹をカバーするウエディングドレスを着て、カメラマンの大群に見守られながらシャリエと結婚式を挙げた。しかし、妊娠と出産は彼女にとって不快な経験でしかなかった。
Original Text: FLORENCETRÈDEZ Text: IZUMI MATSUURA
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エル・ジャポン12月号
あの女優がDV加害者だった!? 12月号『エル・ジャポン』ではジョーン・クロフォードほか、ブリジット・バルドー、マレーネ・ディートリヒといった“毒母女優”の生々しい不都合な真実を掲載。