特集 2017/11/10(金)

金曜日の毒母たちへvol.1―――ニコ、息子を薬漬けにした60年代アイコン

現在でもスタイルアイコンとして名前を挙げる人が多い、60年代の女神にしてアンディ・ウォーホールのミューズ、ニコ。ドラッグ&ロックンロール旋風の最中で息子アリにしたこと。それはまさに毒母の行いだった。

Photo: Aflo

アンディ・ウォーホルに利用されたファッションアイコンといえばイーディー・セジウィック。でももうひとり、誕生から死に至るまで彼女とそっくりの道をたどったミューズがいた。その名はニコ。イーディーとの違いは子どもを産んだこと。息子を暗黒の道を歩ませる、知られざるニコの毒母としての人生にスポットライトを当ててみる。

1960年代、世界でもっとも美しい女性のひとりと米国で絶賛されたニコ。本名クリスタ・ぺフゲン。虚ろな目に、決して笑うことのない表情。180㎝の長身、すらりと伸びた手足、そして名家の血筋特有の退廃的な雰囲気を湛えたドイツ人の美少女は、16歳で早くもアーティストたちの目に留まり、モデル、女優、モデル、アーティストとして活躍し、60年代にもてはやされたドラッグ&ロックンロールの寵児となった。彼女に目を付けた人物には、猥雑な文化を好んで描いた映画監督フェデリコ・フェリーニや、華やかな取り巻きによって名声を手に入れ続けたアンディ・ウォーホルなど錚々たる面々が並ぶ。

ニコがアラン・ドロン(左)の相手役としてオーディションを受けた『太陽がいっぱい』のワンシーン。真ん中に座っていたのはニコだったかもしれない。

Photo: Getty Images

そんな彼女が息子アリを産んだのは1962年8月、彼女が23歳のとき。息子の父親はあのアラン・ドロン。『太陽がいっぱい』のオーディションで出会った。残念ながら監督のルネ・クレマンはドロンの相手役に爽やかなマリー・ラフォレを選び、夜の香りがするニコは役を得られなかったけれども、それから数か月してロサンゼルスで再会したニコとドロンはワンナイトラブを楽しんだ。その結果生まれたのがアリだった。

ところが、アラン・ドロンは子どもの認知を拒否。いっぽうでニコもモデルから歌手へとキャリア転向を必死に図っていて子育てどころではなく、キャリアアップには著名な男性が必要だと信じていた彼女は、引っ越した先のNYでボブ・ディランと出会い、ふたりでギリシャに向かってしまう。ここからアリの壮絶な子ども時代が始まる。そののち、まともな生活を送れたのは、ニコが気まぐれに面倒を見ることに疲れた際、彼を引き取ったアラン・ドロンの母親と継父と一緒に過ごした間だけだった。

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