特集
2017/12/08(金)

金曜日の毒母たちへvol.5―――ジャイド・バリモア、幼い娘を夢の道具にしたステージママ

天才子役にしてハリウッドに燦然と輝く成功を収めた女優ドリュー・バリモアを酒と薬物に染め、夜の世界に追いやったパーティママ、ジャイド・バリモア。その陰には母を失った空っぽな幼少期があった。

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Photo: Getty Images

虐待の負の連鎖を断ち切る

確かに、“正しく”子どもを愛するのは難しい。とくに自分が愛されて育たなかった場合は。ジャイドはネグレクトされて育った。第二次大戦終戦直後のドイツで、移動してきたハンガリー兵のキャンプ内で生まれた。両親はすぐに米国に移民として引っ越すが、すぐに離婚する。その後、ペンシルバニアで育つが決して母親とは会うことはなかったという。ドリューは母の生まれ育った場所をのちに「吹雪のように冷たく、乾いているようだった」と語っている。そんなジャイドは子どもの頃、唯一自分の夢だけを生きがいに過ごした。いつかハリウッドに住むのだ、有名なアーティストになるのだという、大きな夢だけを胸に。

1995年、セックス指南書『Secrets of World Class Lovers』を上梓した頃のジャイド。娘にもプレゼントしたのだとか。

Photo: Getty Images

「ドリューの名前を出さないで自分がやってきた仕事の成果を話すことができたらいいのに……」。
 
ジャイドは50を超えたあたりからいつもこんな風なことを言っていた。母の恨み節だ。印象にも残らない映画の端役、地下劇場の脇役などのキャリアのみを武器に、なお彼女は女優、アーティスト、作家、脚本家など、何某かになりたいという希望を捨てていなかった。1995年に上梓した著書にはワナビーな自分の野心を書き連ねている。そうなると、娘に対しての対抗心が出てくるのは必然だ。同じ年、ドリューが『プレイボーイ』誌でヌードを披露すると、約1年後ジャイドもヌードになった。唯一の違いは娘が表紙を飾ったが、母はできなかったことだ。

2人の娘の母になったドリュー・バリモア。

photo  courtesy of drewbarrymore via Instagram.jpg

現在、ドリューは2人の娘の母になった。ある程度女優としてのキャリアは諦めないとならなかったが、彼女の勇気は親のさらに親から連綿と受け継がれてきた、虐待の負の連鎖を断ち切らせてくれた。復讐はしない。ただ断ち切るだけ。子どものような母にも、今は平安のうちに感謝できるようになった。ドリューはこれまでの母からの仕打ちをこんな風に語っている。
 
「この世に生まれてきて幸せなんだと思えてる……今は、よき母であることがどんなに難しいか、要求の多い子供を育てることがどんなに大変かがよくわかるわ」「母は私の人生においてとっても複雑な存在なの。今はただ怒ってはいないってだけ。彼女には有罪判決と情状酌量が混ざったようなそんな気持ちをいつも感じてる」。

Photo: Getty Images

 

Proud. Me and my mom. On Mother's Day!

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2017年5月14日、ドリュー・バリモアのインスタグラムには70代を迎えた母ジャイドとの、涙が出るような2ショットがアップされた。結婚式にすら招かなかったかつての毒母との穏やかな一瞬だ。そこにはこんな一言が添えられていた。「誇りに思うわ。私もママも。だって今日は母の日だから」。

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