エディターズPICK
2015/09/28(月)
早耳調査隊がゆく!

ジェンダーはフルイディティが時代のキーワード

ファッションから赤ちゃんの名づけ、そしてトランス・ジェンダーのアイコンまで、“今”を語るためのキーワード“ジェンダー・フルイディティ (ジェンダーの流動性)”。来年のアカデミー賞確実と噂され公開前にも拘わらず今もっとも話題の映画『The Danish Girl(邦題:リリーのすべて)』で描かれた主人公夫婦、ゲルダ&アイナー・ウェゲナーの人生とともにいち早く解説!

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リリー・エルベ(左)と妻ゲルダ・ウェゲナーによる作品(右)

Photo : Getty Images(Lilie), Bridgeman Images/Aflo(portrait)

性転換手術でわかった驚愕の事実

1930年、リリーはドイツの性科学者であるユダヤ人のマグヌス・ヒルシュフェルトのもと、性転換の最初の手術を受けることになる。ヒルシュフェルトは“第三の性(生物学的両性具有)”などの性の多様性について研究を重ね、ドイツで同性愛者の擁護、そしてフェミニストとしても活動していた。

そして最初の精巣除去手術の際、驚くべきものが体内で発見される。アイナー/リリーの腹腔内になんと未発達の卵巣の残滓があった。小柄な体、くびれたウエスト、まばらな体毛、ほんのりと隆起した胸。アイナーは男性ではあったが、女性で「も」あったことを語る証拠だった。手術後、リリーはより一層女性らしく美しくなっていった。

しかし、この手術が公になると、当時のデンマーク国王、クリスチャン10世はゲルダとアイナーの婚姻を無効とする。しかし、早くもアイナーは法的にも性別と名前を変え(日本で戸籍上の性別変更の法律が施行されたのは2004年)、“Lili Ilse Elvenes”という名前のパスポートを手にする。この時、既にアイナーは男性としての人生は終わったと感じ、リリーとして生きていくために画家として筆をおき、作品を売ったお金を5回にわたる手術費用に充てた。

婚姻が無効になるとすぐ、ゲルダとリリーは別の相手と恋愛をし、ゲルダは1931年にイタリア人士官のフェルナンド・ポルタと結婚しモロッコに移住。リリーはフランス人の画家、クロード・ルジュンと恋に落ち、彼の子どもを産みたい、母になりたいと切望する。その後5度の子宮移植施術を受けるが、当時は臓器移植に不可欠な免疫抑制剤もなかったため(最初の臓器移植手術が成功したのは実にその50年後の1980年代)、1931年、5度目の手術の3日後、リリーはこの世を去る。リリーが身体的にも精神的も法的にも女性であったのは計14ヶ月だった。

Text : Ryoko Tsukada

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