●多様性のマッチング
「保育園の入園待ちで働けないママをゼロに」。そんなとてつもない目標を掲げ、達成してしまった横浜市。市のリーダーは経済界で長年実績を積んできた林文子市長。企業のトップから、自治体のトップとなった林さんに、なぜそんなことが可能になったのか、その方法とともに、働くとは何か? 女性が産み、育てながら働くことの意義を聞いたところ、思わぬ話の展開が・・・・・・。
-“待機児童0”という目標を定めるきっかけは?
経営者を10年間やってきた中で、優秀な女性社員が子供を預ける保育所をみつけることができず、途中で辞めていくのを見て悔しい思いをしてきました。市長になって、保育所に入れずお困りの方々を、何とかして差し上げたいと心から思いました。
私自身、男性中心の職場で長く働いてきましたから、女性が加わることで大きな成果があがる、女性ならではの強みがたくさんある、と実感しています。たとえば女性は感性のアンテナを大きく張ることが得意です。いろいろなことに、スピード感を持って対応する能力も高いと思います。男性には突破力や、内容を深堀りする追求力があるので、男性と女性がそれぞれの強みを生かすことができれば、業績は必ず向上します。
特に、女性のオープンな部分は営業に向いています。私は自動車のセールスをやってきましたので、営業の世界に、もっと女性が進出して、男性と同じ責任を与えられれば、さらに力が出せるのに、と思っていました。
だからこそ、女性が働き続けられない大きな原因となっている、保育所待機児童の問題には、市長になって真っ先に取り組みました。
“待機児童0”はどの自治体にとっても本当に悲願ともいえることで、横浜市でも皆、「待機児童をなくしたい」と望んでいました。しかし、大変困難な課題ですから、一歩を踏み出せなかったのだと思います。
私は経済界にいましたので、具体的な目標を立てました。経済界では“アバウト”なことはしない。たとえば「(売上)約1万台」というアバウトなことは言わず、目標は「1万台達成」です。皆がひとつの目標にむかってベクトルを同じ方向に向けるためにも、「0」という数値目標を掲げました。
-数値目標を設定する際に大変だったことは?
“意識の壁”です。当時市役所の内部には「保育の受け皿を増やせば、増やした分だけ『私も利用したい』と希望者が増えて、いたちごっこになる。相手のあることだから、ゼロというのは難しい。」という固定観念がありました。最初は、私も「待機児童解消」と言っていたのですが、徐々に市役所の職員の意識が変わってきたので、「これだけ頑張っているのだからゼロにしましょう」と私自ら、意識して伝えるようにしました。
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林文子(はやし・ふみこ)
横浜市長。1946年5月5日、東京生まれ。1965年、東京都立青山高等学校卒業後、東洋レーヨンなどでの勤務を経て自動車会社の営業に転職。その後、驚異の実績を誇る“営業マン”として活躍。企業トップとなり、BMW、フォルクスワーゲン、日産自動車を立て直した手腕のため日本の経済界だけでなく、世界中から注目される女性となる。その実績をもとに2009年、横浜市の市長に就任。今年、2013年、“待機児童0”の目標を達成した。
1965~1976年 東洋レーヨン株式会社(現東レ)、松下電器産業株式会社(現パナソニック) 等 勤務
1977年 ホンダオート横浜株式会社 入社後 ホンダクリオ神奈川北株式会社に転じる
1987年 BMW株式会社東京事業部(現BMW東京)入社
1993年 BMW東京株式会社 新宿支店長
1998年 同社 中央支店長
1999年 ファーレン東京株式会社(現フォルクスワーゲンジャパン販売株式会社)代表取締役社長
2003年 BMW東京株式会社 代表取締役社長
2005年 株式会社ダイエー 代表取締役会長 兼 CEO
2007年 同社 取締役副会長
2008年 日産自動車株式会社 執行役員
2008年 東京日産自動車販売株式会社 代表取締役社長
2009年 横浜市長
主な役職第30次地方制度調査会臨時委員
東京女学館大学 客員教授
受賞歴2004年 ウォールストリートジャーナル紙「注目すべき世界の女性経営者50人」選出
2005年 米フォーブス誌「世界で最も影響力のある女性100人」選出
米フォーチュン誌「米国外のビジネス界最強の女性」選出
2006年 日経ウーマン誌「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006」キャリアクリエイト部門1位
ハーバードビジネススクール女性経営者賞 受賞
2008年 米フォーチュン誌「世界ビジネス界で最強の女性50人」選出