【第17回】『ラスト5イヤーズ』、恋愛における“依存と回避”の関係性とは?
『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』『すべてはモテるためである』などの著書で恋愛とモテについて説き、アダルトビデオ監督としてあくまで女性目線での作品づくりに定評がある“女性と性”のエキスパート、二村ヒトシさん。そんな二村さんが毎月1回、新作映画からラブ&セックスを読み解く連載。第17回は、あるカップルの出会いから別れまでの5年間を描いたミュージカル映画『ラスト5イヤーズ』を斬る!
女の“被害者意識”と男の“罪悪感”
オフ・ブロードウェイで上演された人気ミュージカルを映画化。現代のNYを舞台に、あるカップルのすれ違いを歌と音楽で綴った物語です。彼女主観のシーンは次第に時間をさかのぼり、別れの場面から始まって出会いの幸せな頃に向かっていく。彼主観のシーンは普通に出会いから始まって別れで終わるという構造。女性視点と男性視点とで、ふたりの出会いから別れまでの5年間の時間経過をさかさまに描いて、その時々の段階で、付き合っている男と女がそれぞれどう感じているのかを表現しています。
ミュージカル映画って、リアリティのある世界観のなかで急に人々が歌いだしたり踊りだしたりしてドン引くという感想も耳にしますが(それを言ったら、僕の本業であるAVも突然セックスしだしてドン引く人も、なかにはいらっしゃるかもしれませんが)、この作品ではダンスシーンはわりと少なく、ふたりの男女が交互にカラオケで心情を歌っているみたいで、大げさな感じではありません。ラブストーリーでミュージカルというと、デュエット曲が多そうなものですが、ほとんどのシーンでお互いの感情を一方的に歌でぶつけているだけなのもテーマと合っていた。歌が、ドラマ全体のテンションを盛り上げるためではなく、あくまでも主人公ふたりのそれぞれの情動を表現していて、現代風のミュージカルといっていいのかもしれません。
テーマは明確で、僕がこの連載でしばしば考えている「恋愛関係における、嫉妬する側の被害者意識と、恋される側の“嫉妬する側の注文どおりには愛せない罪悪感”の苦しさ」です。
カップルとして結ばれたふたりですが、ジェイミーが作家デビューして成功していくかたわら、女優であるキャシーはオーディションに落ち続けて芽が出ない。ジェイミーは自分の仕事や魅力が評価されるのが嬉しい反面、しょんぼりしているキャシーを置き去りにしている罪の意識がある。売れていない頃はキャシーのことが大好きだった彼ですが、有名になると他の女性からの誘惑も多くなる。それでも「浮気しちゃいけない」と頑張ります。ところがキャシーは、ジェイミーが特に悪いことをしていないのに、だんだんイラついてくる。
恋愛をしながら(あるいは妻でありながら、母でありながら)仕事でも自己実現をしたいと夢をもつ女性が、精神的に引き裂かれていくシビアな主題は、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが崩壊する夫婦を演じた傑作『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』でも描かれました。あれは1950年代という高度経済成長期で「男を能率よく働かせるために、女性は専業主婦をやらなければならない」と社会が圧力をかけていた時代の話でした。でも『ラスト5イヤーズ』には、そういう時代的・社会的背景がない。ふたりの“被害者意識”と“罪悪感”に向き合うしかない。
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二村ヒトシ/アダルトビデオ監督。1964年六本木生まれ。慶應大学文学部中退。1997年にAV監督デビュー。痴女もの、レズビアンものを中心に独創的な演出のアダルトビデオ作品を数多く手掛けるかたわら、『すべてはモテるためである』(イースト・プレス刊)、『恋とセックスで幸せになる秘密』(同)などの著書で、恋愛やモテについて鋭く分析。女性とセックスを知り尽くした見識に定評がある。その他の著書に『淑女のはらわた』(洋泉社刊)、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(文庫ぎんが堂刊)など。新刊『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA メディアファクトリー/ダ・ヴィンチBOOKS刊)が好評発売中。
http://nimurahitoshi.net/ -
『ラスト5イヤーズ』
監督・脚本/リチャード・ラグラヴェネーズ
出演/アナ・ケンドリック、ジェレミー・ジョーダン
配給/ブロードメディア・スタジオ
公式サイト/www.last5years.jp
2015年4月25日(土)~、YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開