ヒラリー落選に未だ沈黙中。ビヨンセが政治へ傾倒していった8年間を分析
レディー・ガガやケイティ・ペリーなど、ヒラリー・クリントンの選挙選に力を注いだセレブは数多くいるが、なかでもビヨンセは別格。Jay-Zとともに、オバマ大統領時代から全面的なサポートを惜しまず、この8年間、生み出す作品の政治色もどんどん濃くなっていた。今年リリースしたアルバム『レモネード』のミュージックビデオやツアーは、黒人女性としてのアーティスティックな面で彼女の理解と功績の進化を支えている。そしてパフォーマーとしての彼女の進化と並行して、公の場でのビヨンセの政治的な行動も変化し、成熟していった。今回、ヒラリーが破れてしまったことで、数多くの民主党支持セレブが嘆きのツイートを行っていたが、投票から約2日経った11月11日現在も、ビヨンセは沈黙を貫いている。彼女がいかに政治に傾倒していったか、その変遷を確認しながら、次なるアクションを待ちたい。
第1期:2009年から2012年
オバマ大統領が就任したときのビヨンセはわずか27歳。彼女の初々しい楽観主義は祝賀ダンスパーティが開催されたボールルームに映し出され、その夜、多くの国民に伝染した。
しかしそれは長くは続かなかった。
アメリカの歴史をきちんと理解し、真面目にこの瞬間を観察していた人で、2008年のこの選挙がポスト人種差別時代の到来を告げるものだと思った人はいなかった。しかし大統領に対する、人種差別は素早く、特異な形で攻撃を始めた。人種を理由にした攻撃は、黒人を二重意識でしばりつけるよりもむしろ、黒人たちの持つ政治心理を傷つけ苦しめた。
オバマ大統領はアメリカで生まれたのではない、だから大統領として不適格であると非難する運動、バーセリズム以上に極端で屈辱に満ちたものはなかっただろう。この運動は、大統領に出生証明書を公表させるという事態にまで発展した。彼に出生証明書を提出させるように主張し続けたのは、共和党の大統領候補者にして新大統領ドナルド・トランプであるのは周知の事実である。
2011年4月、オバマ大統領はアメリカ国民であることを証明するために出生証明書を公開した。ビヨンセはその年の6月にアルバム『4』をリリースした。雑誌『ローリングストーン』はこのアルバムを「ポップスターが何か証明するものを持っていると思っていないときに作ったようなアルバム」と称している。(つまりオバマ大統領が証明すべきことなどないのに出生証明書を出したのと同じだ。)アルバムの中で最も印象的な作品は、女の子を勇気づけるための曲「Run the World (Girls)」である。ビヨンセは今回の大統領選挙の直前、有権者に投票を呼びかけるコンサートでこの曲をパフォーマンスし、ヒラリー・クリントンへの支持を表明した。
トランプとクリントンの闘いをビヨンセはすでに2011年に予期していたのである。
Translation & Text: Yoko Nagasaka Photo: Getty Images