特集 2015/11/27(金)
早耳調査隊が行く!

【最終回】大統領の消された妹:アメリカのファッション史を築いたケネディ家の女たちの光と影

ジャクリーン・ケネディ・オナシス、その妹のリー・ラジウィル、ジョン・F・ケネディJrに嫁いだキャロリン・ベセット・ケネディ。ファッション・アイコンとして今もなお絶大な人気を誇り、現在も影響を与えているケネディ家の女性たち。でもその陰で人知れず存在を葬られた長女がいた……。華麗なる一族に隠された悲劇の長女、ローズ・マリーの人生が最新の資料に基づき1冊の本「ROSEMARY The Hidden Kennedy Daughter」として出版されたばかりの今、ケネディ家の女性たちのパワーを振りかえれば、その分だけ強かった影の部分も見えてくる……。最終回は大統領の妹、ローズマリーの“隠された”人生の物語。

写真左より エドワード・ケネディ(Edward Kennedy)、ジーン・ケネディ(Jean Kennedy)、ロバート・ケネディ(Robert Kennedy)、パトリシア・ケネディ(Patricia Kennedy)、ユーニス・ケネディ(Eunice Kennedy)、キャスリーン・ケネディ(Kathleen Kennedy)、ローズマリー・ケネディ(Rose Marie Kennedy)、ジョン・F・ケネディ(John F Kennedy)、母ローズ・ケネディ(Rose Kennedy)、父ジョセフ・P・ケネディ(Joseph P Kennedy)

社交界デビューという勇気ある決断

1938年、父親が駐英大使に任命されると、一家は揃ってロンドンに移住した。ローズマリーはハートフォードシャーにあるモンテッソーリ式教育所に寄宿した。アメリカと同じく、当時はイギリス貴族社会でも「遺伝的欠陥」とされるものに大いに恐れと迷信を抱いていた。そのせいで社交界デビューをしない娘や、一度も見かけたことのない息子がいた。当時の王妃の姪2人にも噂が流れており、結局1941年に死亡するまで、2人はこっそりと精神病院に幽閉されていたのだった。
 
そのような社会のなかでローズマリーをデビューさせるということは勇気ある決断だった。母ローズ、ローズマリー、妹のキャスリーンは、バッキンガム宮殿に国王、王妃に拝謁するためにハロッズ近くのダンススクールで英国王室特有のお辞儀のレッスンを受けた。いよいよその日、母ローズはエドワード・モリヌーに縫わせたガウンを着、レディ・ベスボロから借りたティアラを着けた。ローズマリーは3人のなかでいちばん美しかった。宮廷での拝謁は滞りなく済んだように見えた。ローズマリーは殆ど完璧にこなした。ただ、最後に退出する直前、躓き、転びそうになった。すんでのところで姿勢を立ちなおし、ローズマリーは静かに退出した。国王と王妃は微笑を崩さず、居合わせた人々も言葉を交わさず、それはほんの数秒の出来事だった。やがて第二次世界大戦が始まろうとすると、怖気づいた父親ジョセフはロンドンを1年あまりで去った。
 
21歳のローズマリーはひとり、モンテッソーリ式教育所に残り、幼稚園教師研修所となっている付属の修道院経営の幼稚園に移り、子どもたちに本を読み聞かせるなど、他人の為に奉仕する喜びに生きていた。父親の帰国は手紙で知った。ローズマリーは1940年に帰国、1年ぶりに家族と再会した。1941年、23歳になったローズマリーは修道院付属学校で息もつけないような日課に埋め尽くされていた。最近では兄弟や友人もお茶や散歩に誘ってくれない。ローズマリーは本当の生活が修道院の外にあることを知っていた。自由を求め、修道院から抜け出す方法を考え付き、夜になると街を彷徨い歩いた。

3 / 5
1 2 3 4 5

Photo:GETTY IMAGES Text:Ryoko Tsukada

  • (参考文献)
    ローレンス・リーマー「ケネディ家の女たち」
    Edward Klien 「Just Jackie : Her Private Years」 
    ネリー・ブライ「ケネディ家の悪夢 セックスとスキャンダルにまみれた3世代の男たち」 
    クリント・ヒル「ミセス・ケネディ 私だけが知る大統領夫人の素顔」

MORE TOPICS

SHARE THIS ARTICLES

前の記事へ特集一覧へ次の記事へ

CONNECT WITH ELLE

エル・メール(無料)

メールアドレスを入力してください

ご登録ありがとうございました。

ELLE CLUB

ようこそゲストさん

ELLE CLUB

ようこそゲストさん
ログアウト