POP & HAPPENINGS
'60年代に一気に花開いた美術界のカウンターカルチャー
ポップアートやハプニング、ミニマリズムなど、新しいアートの動きが同時に噴出した'60年代のニューヨーク。それは、前の世代に反発する果敢なアーティストたちの時代であった。芸術の精神性を追求する抽象表現主義のアートに対し、大衆漫画のイメージを取り入れたロイ・リキテンスタインの絵や、スープ缶、コーラ、映画スターのイメージを繰り返すアンディ・ウォーホルのシルクスクリーン。そんな反アートの出現は、戦後アメリカの豊かな消費文化を背景に、新進ギャラリストや大物コレクターの登場を促し、アートの中心はもはやパリではなくニューヨークであることを決定づけた。
当時の画廊街は、アップタウンに集中していたが、まだ無名の作家たちが集まる場所といえば、 「10丁目界隈」と呼ばれたイーストビレッジの一角だ。作家による自主運営のスペースが軒を並べ、アートにシアターの要素を持ち込んだハプニングが夜毎登場。草間彌生の初個展が開催されたブラタ画廊もこの界隈だった。同じころ、オノ・ヨーコは、トライベッカのスタジオを開放し、ミニマル音楽のラ・モンテ・ヤングと共にアートの夕べを開催。フルクサスのイベントにつながるこの試みはたいそう人気を博し、ジョン・ケージやマルセル・デュシャンら、錚々たる面々が訪れたという。
大衆とアートをつなげたニューヨークの神話
アンディ・ウォーホル(1928-1987)
「シルバー・ファクトリー」で名高い東47丁目のロフトビルで、エルヴィスやリズ、電気椅子のイメージを大量生産していたウォーホル。ファクトリーに出入りするスーパースター(若者たち)をキャストに、'65年には映画製作に乗り出す。お気に入りは、旧家の令嬢イーディ・セジウィック。『チェルシー・ガールズ』は、今もカルト的人気だ。
日本を代表する前衛芸術家の原点はNYにあり
草間彌生(1929-)
1958年シアトル経由でニューヨークにやってきた草間は、翌年には「無限の網」シリーズの白い絵画で初個展。布地の詰め物による彫刻や部屋全体のインスタレーションも成功を収め、'60年代後半にはボディ・ペインティングのパフォーマンスを指揮し、常に話題の中心に。ジャッドやウォーホル、ジョゼフ・コーネルら多くの作家と交流した。
Text:MANAMI FUJIMORI
Photo:©Burt Glinn / Magnum Photos/AFLO、GETTY IMAGES(Roy Richtenstein、Dan Flasvin、Walter De Maria)、AFLO(Three Flags,Jasper Johns )
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