「だって、女の子だから。」がチャンスを奪う
10月11日は国際少女デー。女性に生まれただけで将来のあらゆる選択肢を奪われる“少女”に特化した支援が、ますます必要とされている理由とは?
「いいお嫁さんになってほしい」が不平等を生む
でも、このイスラム教過激派を堂々と非難できるほど、先進諸国は少女たちに平等の権利を与えてきたかと言われるとそうでもなさそう。
イスラム教を締め出そうとしているアメリカでも、20世紀直前まで女子は男子と同じ大学に進学できなかった。「初期高等教育については、(1)結婚しようとする女子にとって、四年間の高等教育は、時間の浪費ではないか (2)大学で学ぶと、女子は健康を害するのではないか。(3)共学の大学では、学生間の恋愛が学習の妨げになるのではないか という三点が議論された(※1)」から、らしい。そうして1890年代、大学卒業者数は男子12,857名に対し、女子は2,682名。わずか17%しかいなかった。
男女平等大国と言われるフランスでも、かつてリセ(高等学校)では男子には大学入学資格試験の準備教育、女子には家の管理と夫やその客と会話ができるための教育と処女を守るための性教育、といったように内容が分けられていた(※2)。つまりはあからさまに大学教育の機会を少女たちから奪っていたということ。
日本のシステムでは現在も高等教育(高校以上の5年間 ※3)から一定数の女性が排除されている。高等教育の在学率は女子の方が7%ほど低く、4大卒に至っては10%低く、院卒に至っては男子の半数にも満たない。特に最高学府での男女格差はすさまじく、京大の女子進学率はたった22%(2017年)で、東大は2013年の18.8%(※4)から現在の18.9まで(前期後記推薦計 ※5)変化がほとんど見られない。これは先述の19世紀末アメリカの状況とさほどかわらない数値。
高等教育進学率が日本よりも低く、名門女子大が日本同様に存在する現在のアメリカの最高学府ハーバードの50%、プリンストン大の49%、MITの45%、くわえて英国のケンブリッジ大47%(※5)と比較してもかなり低い。こうなると最高学府への進学するまでの教育過程で少女たちを阻む何かが存在しているのはほぼ間違いない。
女の子だから大学に行けない、女の子だから男の子より入学するのは難しい……。「だって、女の子だから。」をレベルの差はあれど、どの国も抱えている。
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※1 村田鈴子『アメリカ女子高等教育し:その成立と発展』春風社刊
※2 松田裕子「ベル・エポックのフランスにおけるブルジョワ女性―結婚と離婚について」大阪大学
※3 内閣府HP
※4 東京大学発表
※5 2016年度SAPIX調べ
※6 京都大学男女共同参画推進センター