特集
2015/12/18(金)
二村ヒトシの映画でラブ&セックス考

【第21回】『ヴィオレット ある作家の肖像』に見る、“書く”ことで癒される“病み”

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』『すべてはモテるためである』などの著書で恋愛とモテについて説き、アダルトビデオ監督としてあくまで女性目線での作品づくりに定評がある“女性と性”のエキスパート、二村ヒトシさん。そんな二村さんが毎月1回、新作映画からラブ&セックスを読み解く連載。第21回は、実在の女性作家の半生と愛を描いたフランス映画『ヴィオレット ある作家の肖像』を斬る!

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(C) TS PRODUCTIONS - 2013

SNSに見る「キラキラと病み」の二重構造

この映画の時代背景は今から60~70年前ですが、主人公たちが抱えている自己受容できなさ、自意識の問題は、現代人とほぼ同じです。さらに近年ではインターネットの登場によって表現をすることが手軽にもなり、ヴィオレットやモーリスのような「苦しみながら、自分について書く人」は一般的になりました。
 
インターネットの各SNSを比較すると、Facebookは実名公開なので無難なことや人がうらやむようなことを書き、ハンドルネーム使用のTwitterには暗いことや過激なこと、他人への悪意や自虐を一発芸的にサクッと書くのに適しているという話もあります。でもそれだと書いて読まれるのは楽しいけれど、本人の視野の狭さは変わらぬままで、自家中毒っぽくなりそうです。同じ一人の人の心のなかが「建前と本音」というか「キラキラと病み」に二重構造化されてしまうのでは、とも言われていますね(“自分”を場面によって意識的に使い分けられるのは、むしろ健康だという考え方もありますが)。
 
ちょっと前だと、mixiに公開範囲を友達限定にして自分の恋愛について書いていた人が、特に女性に多かったですが、短文のツイートではないので文章の構成力も必要でした。書いている本人の視点に客観性があるような日記(要するに、他人が読んで面白い日記)も多く、そういう日記は文体もしっかりしていて、Twitterの“病みツイート”よりも読み甲斐があったようにも感じます。
 
実在した女性ヴィオレット・ルデュックは、その小説の才能をボーヴォワールからも、高名な香水メーカーの経営者ジャック・ゲランからも愛されながら、長い間、経済的には自立できず、心を本格的に病んで精神病院にも入院します。50歳を過ぎてからやっと本が売れ、1960年代後半にはフランスのテレビ界でもトークショウや今でいうバラエティ番組が盛んになってきたのでしょう、そういった場で彼女は有名人になりましたが、その後、長くは生きられませんでした。享年は65歳。彼女を苦しめ続けた母親は、娘よりも8カ月だけ長生きしたのだそうです。
 
やりきれない人生のようですが、ラストシーンでのヴィオレットの姿は、不思議と痛ましい感じがしないのです。死ぬまで恋と性にこだわる“生き方”は変えられなかったヴィオレットが、どこかの時点で“考え方”を変えて、自分のメンヘラぶりを客観的に「あたしのアホさかげん、まじウケる……」と、面白がることができるようになったのかもしれません。それは彼女が生涯に渡って、書くことをやめなかったのに関係がある、と僕には思えます。
 
■今回の格言/依存体質の女性も、「インチキ自己肯定」している男性も、自分が“なぜつらいのか”を見つめることは重要です。別の視点をもつことで、恋に狂わずに人生が好転するきっかけになることがあります。
 

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