AIDSをめぐる言葉の戦場──なぜ先進国で日本だけがAIDS禍を克服できないのか
2018/03/27(火)
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『BPM ビート・パー・ミニット』より (C)Celine Nieszawerline

AIDS禍のピークを乗り越えた欧米先進国

「性」をタブーにしないこと。タブーにすれば「性」に関わる病気は同じく闇に隠れてどこで戦えば良いのかもわからなくなる──それがAIDS禍で生き残っている者たちの手にした大きな教訓でした。80年代後半から、患者/感染者たちはAIDSとの戦いという大義名分を掲げて続々とカミングアウトしました。隠れていては戦えないからです。それはまるでかつての日本の武将たちの戦さのような、名乗りを挙げての戦いでした。

それは生殖以外のすべての「性」を忌むキリスト教社会では大変な困難でした。けれど周囲で息子が娘が、恋人が友人が家族親戚たちがバタバタと死んでゆく情況では悠長なことは言っていられませんでした。カミングアウトより、死を見過ごすことの方がはるかに困難であり、かつ非道徳的なことだったからです。

欧米先進国はそうやって徹底的に言葉にすること、議論すること、AIDSを白日のもとに晒し目に見える存在にすることでその欺瞞を暴き、同性愛嫌悪を克服しつつあります。『BPM ビート・パー・ミニット』はAIDS禍のピークをそうやって乗り越えるためのひとつの過程を描いた映画なのです。

text: Yuji Kitamaru

  • 北丸雄二/ジャーナリスト、コラムニスト、小説家、翻訳家。NY支局長として在籍した東京新聞(中日新聞)を退社後、独立。TBSやFM TOKYO、大阪MBSなどでラジオ・コメンテーターやニュース解説者としても出演。NYに住んで24年、90年代にはNYの「アクトアップ」の動向を間近で目撃。2018年からは東京を拠点に活動中。Twitter: @quitamarco

  • (C)Celine Nieszawerline

    『BPM ビート・パー・ミニット』 ロバン・カンピヨ監督
    舞台は1990年代初めのパリ。エイズの治療はまだ発展途上で、誤った知識や偏見をもたれていた。「アクトアップ・パリ」のメンバーたちは、新薬の研究成果を出し渋る製薬会社への襲撃や高校の教室に侵入し、コンドームの使用を訴えたり、ゲイ・プライド・パレードへ参加するなどの活動を通し、AIDS患者やHIV感染者への差別や不当な扱いに対して抗議活動を行っていた。行動派のメンバーであるショーンは、HIV陰性だが活動に参加し始めたナタンと恋に落ちる。しかし、徐々にショーンはエイズの症状が顕在化し、次第に「アクトアップ」のリーダー・チボーやメンバーたちに対して批判的な態度を取り始めていく。そんなショーンをナタンは献身的に介護するが…。2018年3月24日(土)よりヒューマントラスシネ有楽町、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国ロードショー。
    http://bpm-movie.jp/

  • 「アクトアップ(ACT UP)」とは?
    正式名称:the AIDS Coalition to Unleash Power=力を解き放つためのエイズ連合
    「アクトアップ・ニューヨーク」は1987年3月にニューヨークで発足したエイズ・アクティビストの団体。エイズ政策に感染者の声を反映させることに力を入れ、差別や不当な扱いに抗議して、政府、製薬会社などに対しデモなどの直接行動に訴えることもしばしばある。現在は全米各地やフランス、インド、ネパールなどにもアクトアップが作られている。

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