死の3週間前、共に旅した男が語る「ダイアナ元妃の素顔」
2017/08/29(火)
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自分の死の香りに気づいていたかのような言葉

――今でも忘れられない思い出は?
 
たくさんあるけれど、ずっと僕を捕えて離さないのがこのサラエボの墓地の写真。これは旅のまさに最後の日、まったく予定されていなかったのに「この近くに墓地がないかしら」と彼女が言い出したんだ。僕らは次の予定に遅れていたし、変更する余裕は1分もなかったけれど、プリンセスはなぜか断固として譲らなかった。仕方なくかつてのオリンピックスタジアムで戦争犠牲者が眠る広大な墓地を訪れたんだ。何百もの墓石のあいだで立ち止まった彼女を、僕は奇妙な気持ちで見つめていた。墓地には息子の墓の前で祈る母親がいて、言葉の通じないふたりは、ただ抱き合っていた。手を差し伸べ母親の涙をぬぐうダイアナは、素のダイアナだったと思う。
 
そうして彼女は、僕に向かって3回も言ったんだ。「ジェリー、この風景が頭から離れないの。自分が墓地のなかにいるこの風景、この感覚を知っている。不思議だわ」。数週間後、パリで彼女が亡くなったニュースを聞いて、彼女はもしかしたら自分の死の香りに気づいていたのではないかと思った。今でもこの筋書きのない、予兆のような瞬間を思い出すたび、寒気を感じるんだ。

ミルゼタはちょっと生意気な女の子で、僕たちの訪問の間くちゃくちゃ風船ガムをふくらませながら、松葉杖を使って器用に動き回っていた。その姿がダイアナの目に留まり、坂の上にある彼女の家にいくことにした。ここでも彼女は持ち前のインテリジェンスを発揮し、ミルセダのネックレスを褒めながら「いっしょに写真を撮ってもいい?」と、あっという間に少女の心を捉えてしまった。家を出るときに、ダイアナは部屋の片隅にうずくまる小児麻痺の妹に気づいて抱き上げた。女の子はプリンセスに笑顔でこたえ、「この子はここ何カ月も笑っていなかったのに!」と母親はびっくりしていたよ。例え地雷の犠牲者でなくても、彼女は傷つき助けを求めている人を見過ごさなかったんだ。

Photos: Landmine Survivors Network

  • PROFILE
    ジェリー・ホワイト/1963年ボストン生まれ。大学2年生の夏休み、イスラエルで山歩きをしていて地雷が爆破、右膝から下を失う。「地雷サバイバーネットワーク」を仲間とともに立ち上げ、1997年にノーベル平和賞を共同受賞。オバマ政権下で紛争安定のために尽力し、2015年困難な政策決定をサポートするテクノロジー企業giStratを創設。

  • NEWS!
    ダイアナの指南役となり、現在でも地雷撲滅をはじめさまざまなムーブメントをつくり出すジェリー・ホワイトが9月4日東京で講演を行います。この「Dialogue with Jerry White」にエル・オンライン読者を先着3名ご招待!  詳しくはコチラのサイトより「エル・オンラインを見て」と明記してご応募ください。→http://japan.ashoka.org/
     
    日時:9月4日(月)19:00~21:00
    場所:GRIPS政策研究大学院大学 想海樓ホール
    東京都港区六本木 7-22-1
    料金:一般¥2,000/学生¥1,000

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