その3
デザインミスでキャリアの終焉!?
1971年、マノロ・ブラニクがデザイナーのオジー・クラークと最初のコレクション“Quorum Black Magic”を発表したとき、彼のキャリアは破綻寸前だった。彼は学校ではなく、工場を訪問して靴製作の工程を学んでおり、当初は理にかなったデザインを製作する技術に欠けていた。彼は厚いゴムのヒールを製作したが中に鋼を入れ忘れ、その結果、歩く際に非常に痛みを伴うシューズを発表したのだ。当時、キャットウォークで彼の靴を着用したモデルたちはこのデザインミスについて、「新しい歩き方の発明」と形容したそう。
text : SUMMER LIN translation: HARUKA SAITO