ダイアナ元妃を支えた2人の姉はいま? 知られざる姉妹愛の真実
2017/09/19(火)
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セーラの怒りは、スペンサー家の怒り

1997年8月31日の悲劇的な事故後、セーラとジェーンはチャールズ皇太子とともにダイアナ元妃の遺体を引き取りにパリに向かった。英国に戻った後の当時の映像には、妹の棺の前で憔悴しきった様子のセーラとジェーンの姿が映し出されている。ダイアナ元妃が亡くなってから葬儀までの間、セーラは何も感じることができず、ただただショックを受けていたというが、最近のBBCのインタビューでは、当時のメディアに対して厳しい言葉を向けていた。セーラは妹を亡くしたばかりだった彼女からコメントを引き出そうと躍起になっていた記者たちを「無慈悲」とし、「許しがたい行為」と辛辣に語った。セーラの怒りは、スペンサー家の怒り。3姉妹の弟であるチャールズも、ダイアナ元妃の死後に出した声明で、「カメラマンやメディアにも責任がある」と事故当時のマスコミの行動を非難していた。

ダイアナ元妃の葬儀後、セーラはダイアナ記念基金の会長に就任。同基金は2012年に閉鎖するまでの15年間で、様々な慈善団体に対し1億1200万ポンド(約123億円)の寄付金を集めた。2007年にはダイアナ元妃の事故について裁判で証言をし、その結果、ダイアナ元妃と彼女の同伴者ドディ・アルファイドの死は、運転手だったアンリ・ポールと、元妃とドディを追いかけたパパラッチの護衛によって引き起こされた不法な事故だったと陪審員の判決が下った。乗客にシートベルトを締めさせず、アンリ自身が酒気帯び運転をしていたことも判決の一因となった。裁判で証人席に着いたセーラは、当時噂されていたダイアナ元妃とドディの関係を否定。代わりにダイアナ元妃は亡くなる数ヶ月前まで交際していた心臓外科医のハスナット・カーンと結婚したがっていたと、証言した。

Photos: Getty Images Translation: Ai Ono

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