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2017/05/20(土)
FROM ELLE WORLD

不倫愛から、ついには結婚へ。チャールズ皇太子とカミラ・パーカーの王室恋愛簿

チャールズ皇太子とダイアナ元妃の結婚生活を破滅に追い込んだ張本人として、批判を浴びることも多いカミラ・パーカー(コーンウォール侯爵夫人)。しかし、チャールズ皇太子との関係が40年に渡る今日、彼らの関係は単なるスキャンダラスな情事ではなくなっている。王室の結婚からタブロイド紙の騒動、そして忘れもしない悲劇的事件まで、禁じられた関係に始まり、ついに女王も認める仲となった2人の軌跡を振り返る。US版エルより。

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1990年代

1992年

1992年11月、マスコミはチャールズとカミラが互いへの愛を確かめ合う、電話での親密な会話が録音されたテープを公開する。のちにタブロイド紙が「カミラゲート」と呼んだ事件だ。1カ月後、ジョン・メイヤー首相がダイアナとチャールズ皇太子の結婚に問題がある事を認め、2人の別居を発表した。

1994年

別居から2年後、チャールズ皇太子は国営テレビのインタビューでカミラのことを自分の愛人と呼び、不倫の事実を認めた。しかし、同時に彼は”結婚生活が修復不可能なまで壊れてしまったことがはっきりするまで”はダイアナへの貞操を守ったと、自身を擁護した。

 

1995年

カミラと彼女の夫のアンドリューは正式に離婚を発表する。2年間に渡って別居を続けてきた2人は「共通する興味がほとんど無い」ことを理由に結婚生活に終止符を打つことを決意。この年、BBCのインタビューでダイアナ側も不倫を認め、有名なポロ選手でダイアナの元乗馬教師だったジェームズ・ヒューイットとの情事があったことを明かした。ダイアナはチャールズ皇太子とカミラの関係についても赤裸々に語った。そのマーティン・バシールとのインタビューの中で、ダイアナは「私たちの結婚には3人の人間がいたから、少し込み入っていたの」と認めた。独占インタビューを実現するために、彼女はバシールと協働してバッキンガム宮殿に知られないように事を進めたという。ABCの特別番組「The Last 100 Days of Diana(ダイアナ最後の100日間)」によると、バシールはダイアナの関係者に知られないよう、こっそりインタビューするために、宮殿に潜入したこともあったとか。

 

1997年

パリで起きた悲劇の交通事故によりダイアナが死亡。世界はそのニュースに騒然となった。チャールズ皇太子が家族とともに葬列を歩いた時にはシティー・オブ・ロンドン全体が彼女の死を悼んだ。カミラはチャールズの人生における新たな女性としての存在感を少しずつ示すようになってきたが、ダイアナに再びスポットライトが当たるようになったことでそれも止まってしまった。

ダイアナの葬儀の際、息子のウィリアム王子とハリー王子のそばに立つチャールズ皇太子。

1998年

ダイアナの死から1年後、チャールズ皇太子は息子たちに正式にカミラを紹介。ダイアナの突然の死があったため、チャールズとカミラは自分たちの関係が注目を浴びないようにしていた。

カミラの妹の50歳の誕生パーティーの会場、リッツ・ホテルを後にするカミラとチャールズ。

1999年

ロンドンのリッツ・ホテルで行われたカミラの妹の50歳を祝うパーティーで2人は初めて公の場に一緒に登場。チャールズとカミラは2時間近く間をあけて別々に会場に到着したが、一緒に会場を後にした。200人以上のカメラマン、ジャーナリスト、旅行者、ファンらがダイアナの死以来公衆の目を避けてきた2人の姿をひと目見ようとホテルの周りに詰めかけた。彼らが一緒に現れたその瞬間から、2人の関係は公然の情事から公然のロマンスへと変わった。

Translation & Text: Naoko Ogata  Photo:Getty Images

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