不倫愛から、ついには結婚へ。チャールズ皇太子とカミラ・パーカーの王室恋愛簿
チャールズ皇太子とダイアナ元妃の結婚生活を破滅に追い込んだ張本人として、批判を浴びることも多いカミラ・パーカー(コーンウォール侯爵夫人)。しかし、チャールズ皇太子との関係が40年に渡る今日、彼らの関係は単なるスキャンダラスな情事ではなくなっている。王室の結婚からタブロイド紙の騒動、そして忘れもしない悲劇的事件まで、禁じられた関係に始まり、ついに女王も認める仲となった2人の軌跡を振り返る。US版エルより。
1970年代
1970年
チャールズ皇太子がカミラと初めて出会ったのはイングランド南東部、ウィンザーで行われていたポロの試合会場だ。2人はすぐに惹かれあい、間もなく交際をスタート。チャールズが1971年にイギリス海軍に入隊するまで関係は続いた。
1973年
1973年の7月、カミラはイギリス陸軍の軍人で社交界の人気者だったアンドリュー・パーカー・ボウルズと結婚。アンドリューは以前、チャールズ皇太子の妹、アン王女と付き合っていたこともある男性だ。カミラと寄宿学校時代の同級生である女優のリン・レッドグレイヴはカミラのことを、「お金持ちの夫を捕まえることが、彼女にとって最も重要だった。カミラは楽しむことが大好きで、それには良い相手と結婚したいと望んでいたの。なぜなら、彼女にとってそれは最も楽しいことだからよ」と語っている。
1977年
ダイアナの姉、サラ・マッコーコデールと交際していたチャールズ皇太子は当時16歳だったダイアナ・スペンサー(ダイアナ元妃)と正式に出会う。1980年に、チャールズ皇太子はサラとの関係を解消し、ダイアナに求愛をスタート。ダイアナの伝記を執筆したアンドリュー・モートンによると、皇太子をめぐっての関係があった後も、ダイアナとサラの姉妹は近しい間柄だったという。サラはダイアナとチャールズの関係には自分の責任があると主張しており、「私が彼らを紹介したの。私はキューピッドよ」と発言している。
Translation & Text: Naoko Ogata Photo:Getty Images