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(C)2013 畑事務所・GNDHDDTK

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「ここではないどこか」を求めた姫の罪

かぐや姫は、父親や男たちや男性社会を疑わない女性の先輩から「女らしくあれ」と求められることと、自分が“どうありたいのか”とのズレに苦しみます。竹取の翁も、姫に求婚する5人の男たちも、姫の心情をまったく考えてくれません。
 
子どもの感情をいっさい考えなくても(それは甘えだ、とか言って)育ててしまうことができるし、相手の感情をいっさい考えなくても恋をすることができてしまう。映画の前半では“男の愚かさ”というものが、これでもか、これでもかってくらい徹底的に描かれています。竹から金が出てきて翁は目がくらむわけだけど、あの金、かぐや姫を地球に送りこんだ“別世界の意志”が地球の人間の欲望というか“愚かさ”を試すために送ったのかもしれないね。いずれにせよ、どうして人間は“自分の欲しいもの”を「自分が恋してる相手も同じように欲しがるはずだ」と思い込んでしまうんだろう……。
 
ただ、翁の妻である媼(かぐや姫を育てるお婆さん)が映画では“理想的な優しい母”として描かれますけど、母親だって父親に負けない精神的虐待を娘にすることが現実にはあるよね。若い女性たちだって、相手が本当は何を欲しがってるのかを理解しようとせずに恋してしまうことも多いと思う。男だけを愚かに描いているあたりは、高畑勲監督の“男性としての罪悪感”がそうさせたのかな、と邪推してしまいました。
 
さて、映画の後半になると、かぐや姫はだんだんおかしくなっていきます。幸せだった少女時代の思い出と都での暮らしに引き裂かれ、もともと自分が暮らしていたという月の世界の記憶と「自分の居場所はここではない」という思いに取り憑かれます。このくだりで僕は「多くの女の人が、心の中に“かぐや姫という魔物”を持っているのかもしれない」と思いました。
 
女性は、社会の中で“引き裂かれやすい”んです。いや、男たちだって仕事と家庭と趣味とか、自意識と収入とプライドとか、いろんなものに引き裂かれて生きてはいる。だけど男性は、この世の男性社会という“インチキ自己肯定を許してくれる世界”に守られているから、自分の“引き裂かれ”を自覚せずに、ごまかして生きていきやすいと思う(詳しくは、僕の『恋とセックスで幸せになる秘密』という恥ずかしいタイトルの本に書きましたので、よかったら読んでください)。
 
人間だったら、引き裂かれて生きるのが当たり前だとも思います。引き裂かれてなかったら、月の人たちみたいに幸せだろうけど感情のない人たちになってしまう。かぐや姫は、そんな“感情”というものに憧れて、月に生まれたのにわざわざ地球(現実世界)に転生したんでしょう。その“憧れ”が姫の罪であり、その結果、引き裂かれて苦しい思いをしているというのが姫の受けた罰。
 
彼女は「ここじゃないどこか」に行きたかった。前世では地球で生まれかわりたかったし、都では「田舎に帰りたい……」と思ってる。常に「ここは私の居場所ではない。ここでは自由に生きられない」と思っている。

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  • 二村ヒトシ/アダルトビデオ監督。1964年六本木生まれ。慶應大学文学部中退。1997年にAV監督デビュー。痴女もの、レズビアンものを中心に独創的な演出のアダルトビデオ作品を数多く手掛けるかたわら、『すべてはモテるためである』(イースト・プレス刊)、『恋とセックスで幸せになる秘密』(同)などの著書で、恋愛やモテについて鋭く分析。女性とセックスを知り尽くした見識に定評がある。最新刊『淑女のはらわた』(洋泉社刊)も好評発売中。
    http://nimurahitoshi.net/

  • 『かぐや姫の物語』
    監督/高畑 勲
    声の出演/朝倉あき、高良健吾、地井武男、宮本信子
    配給/東宝
    公式サイト/http://www.kaguyahime-monogatari.jp/
    全国東宝系にてロードショー

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