【第11回】フランス映画『ジェラシー』に見る、恋愛における因果応報とは?
『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』『すべてはモテるためである』などの著書で恋愛とモテについて説き、アダルトビデオ監督としてあくまで女性目線での作品づくりに定評がある“女性と性”のエキスパート、二村ヒトシさん。そんな二村さんが毎月1回、新作映画からラブ&セックスを読み解く連載。第11回は、ある男女の恋愛模様をリアルに切り取ったフランス映画『ジェラシー』を斬る!
相手にコミットすること。“思いやり”をもつこと。
この映画は「嫉妬って恐ろしいですね」とか「嫉妬しなくて済むような相手を選んで幸せになろう」という教訓を語ってるわけではありません。多くの人間がもともと持っている“寂しさ”とか“孤独”についての映画です。
恋愛に依存したり逃げたりする人は、親に見捨てられて育っても、親に愛されて育ったとしても、何らかの形で「私は、私が愛されたいようには愛されなかった」という記憶が残っていて、その寂しさを埋めるために“同じような寂しさ”をまとった人と恋に落ちます。しかも、その相手を愛することができない。ルイは“自分は父親に見捨てられた”と思い込んでいて、その心の穴を埋めるために次々と恋をして、さらにその恋愛から逃げ続けないと生きていけない男なんです。その恋は傷つくため、傷つけるための恋です。
橋本 治という作家は著書『恋愛論』のなかで「恋愛は人生における光であるが、光だからこそ、その恋愛以前に自分を取り囲んでいた世界が闇だったことがバレてしまう」「恋愛を味わいながら溺れて破滅しないためには、まず自分自身というものを確立して、自分を愛していなくてはならない」という意味のことを書きました。
あの人のことを好きになったから、自分のダメなところ、残酷なところ、その人を愛せないこと、寂しかったことが、かえって明らかになってしまう。それがまた嫉妬を生みます。恋愛の恐ろしいところです。
もしルイやクローディアが、自分自身を嫌いにならず、自分の闇と向かい合えていたら? 相手から逃げないで、苦しい依存もしないで、コミットできていたかもしれません。愛して生きることができていたかもしれません。
決してハッピーな物語ではない、自分の恋愛を考えると反面教師にするしかない映画ですが、その救いのなさが心に刻まれる佳作でした。フランスの若者って恋愛が上手だってイメージがあったけど、なーんだ、けっこうドロドロしてるんだな、とも思いました(笑)。恋愛における“心の穴の埋め合い”って万国共通なんですね。
■今回の格言/縁があった人とは、きちんとコミットして、向かい合うようにしましょう。自分と相手の心の穴を知って、自己嫌悪せず、相手を傷つけるための浮気はせず、そして相手を思いやることです。
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二村ヒトシ/アダルトビデオ監督。1964年六本木生まれ。慶應大学文学部中退。1997年にAV監督デビュー。痴女もの、レズビアンものを中心に独創的な演出のアダルトビデオ作品を数多く手掛けるかたわら、『すべてはモテるためである』(イースト・プレス刊)、『恋とセックスで幸せになる秘密』(同)などの著書で、恋愛やモテについて鋭く分析。女性とセックスを知り尽くした見識に定評がある。最新刊『淑女のはらわた』(洋泉社刊)、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(文庫ぎんが堂刊)も好評発売中。
http://nimurahitoshi.net/ -
『ジェラシー』
監督/フィリップ・ガレル
出演/ルイ・ガレル、アナ・ムグラリス
配給/boid、ビターズ・エンド
公式サイト/http://www.jalousie2014.com/
2014年9月27日(土)~、渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開