正しい綺麗事を“息苦しい”と感じてしまう私たち
「あなそれ」のなかで、ある種の“息苦しい正しさ”の象徴として描かれるのが、涼太という人物だ。
彼はふだん、不満や愚痴、人の悪口といったネガティブなことを一切言わず、インスタでは常に日常の小さな幸せや喜びをアップしてポジティブアピールをする。それどころか、怒りや憎しみ、嫉妬といった負の感情すらまったく表に出さず、妻・美都の不倫が明るみになってからも、彼女を変わらず愛し続けようとする。
そんな“清く正しい”涼太に対して、美都は自分のネガティブで黒い本音を見せることができず、居心地の悪さを感じてしまう。
美都「ありがとう、ごめんね、最近そればっかり涼ちゃんに言ってる。涼ちゃんは優しい。すごく優しいけど、なんだか借りが増えてくみたいで……」(第3話より)
美都「涼ちゃんは普通の人だ。普通の、すごくいい人だ。だから誰かを憎んだり、嫌ったり、怒ったりする姿を見せない。毎日幸せを探す涼ちゃんはいい人だけど。けど……“本当の話”ができない。“本当”には、私の黒〜いところも入るから」(第4話より)
私たちは、公の場所で守るべき建前を、ときに“嘘くさい綺麗事”と一段下に見てしまう傾向がある。少なくとも恋人や夫婦といった親密な関係においては、自分の汚い本音や黒い部分を受け入れ、“一緒に間違ってくれる”相手を求めがちだ。
美都にとって、「子供なんてちっともかわいくない」という本音を否定せずに聞いてくれた有島は、自分の味方であり理解者のように見えたに違いない(実際は、単に浮気相手に価値観の一致まで求めていないからスルーしただけだったとしても)。
それに対して、汚い本音を決して見せてくれず、正しさで塗り固めた涼太のことを、彼女は共感力が低く真意の見えない“遠い他者”と感じてしまったのではないだろうか。
事実、涼太は妻に不倫されても愛し続ける“清く正しい夫”であろうとするあまり、本当はあるはずの怒りや嫉妬や憎しみといった黒い感情にフタをして、見ないフリをしている。
「お天道様は見ている」という言い方にこだわるのも、彼が自分の本当の感情に鈍感で、“自分はどう感じているのか/どうしたいのか”という倫理や道徳のモノサシを、「お天道様」という世間体に丸投げしているからだろう。だから、一度お天道様のタガが外れると、暴走してしまうのだ。
ドラマ後半の涼太は、美都の気持ちも、自分の気持ちすらも無視して、“何があっても別れずに愛し続ける”ことだけを正義と思い込み、意地でも婚姻関係を継続しようとする壊れたキャラクターになってしまった。
本作において、涼太が一貫してホラー映画に出てくるシリアルキラーのような演出とカメラワークで撮られていたことは、実に示唆的と言える。美都にとって、彼はもはや一般的な規範や良識の通用しない、まさに“感情のない不気味なモンスター”なのだ。
Text: Fukusuke Fukuda photo: (c)TBS
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「あなたのことはそれほど」(TBS)
いよいよ6月20日(火)22:00~ W不倫のドロドロ物語が完結。最終話は15分拡大! 人間の業をどう受け止めるのかに答えが出るのか? 果たして涼太の異常な愛情はどこへ向かってしまうのか? 結末がひたすら気になる。
http://www.tbs.co.jp/anasore/ -
福田フクスケ/フリーライター・編集者。「男の自意識」を分析したジェンダー論を華麗に差し込みつつ、幅広いカルチャーを斜めから分析したコラムでオンライン上でまたたくまに人気を得る。雑誌『週刊SPA!』『GetNavi』、webメディア「SOLO」「マイナビニュース」などで執筆中。
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