クラーナハのエロティシズムを現代アートで表現すると?
2016/12/05(月)
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左:《正義の寓意(ユスティティア)》1537年
右:レイラ・パズーキ《ルカス・クラーナハ(父)《正義の寓意》1537年による絵画コンペティション》2011年

中国のコピー村の100枚と本物を見比べ

会場で、変な意味で一際目立つのが壁一面を埋めるレイラ・パズーキの作品だ。100枚のクラーナハの《正義の寓意》が並んでいる。でもよく見るとそれぞれの絵はちょっとずつ違う。そして大半が本物よりヘタクソだ。その度合いは“まあ許せる”から“これはひどい”までいろいろあるけれど、おおむね“なんじゃこりゃ”レベルである。
 
実はこれ、中国の芸術家村で描かれたもの。世界の複製画の半数以上が生産されるという村で100人の画家に7時間以内で《正義の寓意》を模写せよ、というお題を出し、その結果できあがったものだ。
 
クラーナハの時代の画家は自己表現のために絵を描くのではなく、注文に応じて装飾や布教のために描く、職人に近いスタンスで活動していた。クラーナハはその独特の蠱惑的な女性像が人気を博したらしく、子らとともに大規模な工房を構えて殺到する注文をさばいていた。レイラ・パズーキは絵画を“大量生産”していたクラーナハを現代のアート・マーケットと重ね合わせている。しかもタイトルは《フェア・トレード》。かなり皮肉が効いている。

Text:NAOKO AONO

  • クラーナハ展―500年後の誘惑
    ~'17年1月15日 国立西洋美術館
    1月28日~4月16日 国立国際美術館(大阪)
    http://www.tbs.co.jp/vienna2016/

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