改めておさらい。“ハリウッド荒らし”から汚物へと転落したハーヴェイ・ワインスタインとは
2017/10/17(火)
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Photos: Getty Images

映画業界に入る前のワインスタイン

ニューヨーク州立大学のバッファロー校に通っていたワインスタインは、友人のコーキー・バーガーと共にハーヴェイ&コーキープレゼンツというコンサートのプロモーション業務を行う会社を設立。その影響で1973年に大学を中退し、バッファローで2,000席規模の映画館を運営。土曜日には映画1本の価格で3本楽しめるという特別なサービスを提供していたと米『ザ・ニューヨーカー』誌は伝えている。最終的には、その映画館でコンサートを開催するという目標があったけれど、徐々に映画制作の方に興味が移っていったのだそう。
 
そこでバッファローから毎日ニューヨーク市内に通い、当時パラマウント・ピクチャーズでアメリカ東海岸部門のヴァイス・プレジデントを務めていたジュリアン・シュロスバーグのもとでパートタイムをスタート。そして1979年にハーヴェイ&コーキープレゼンツの株を売り、母ミリアムと父マックスから名づけられた、映画会社ミラマックスを設立。マンハッタンのミッドタウンにオフィスを構え、母ミリアムが受付を担当していたという。
 
それから3年後の1982年、ミラマックスからコメディ映画『The Secret Policeman’s Other Ball(原題)』を配給。この映画は世界最大の人権NGOアムネスティ・インターナショナルを支援する一環で開催されていたチャリティコンサートを描いたもので、スティング、フィル・コリンズ、モンティ・パイソンなどのパフォーマンスも収録されている。興行収入は6億7,580万円(600万ドル)とハリウッドの基準には達していないものの、ワインスタインは好調な出だしとして捉えたのだとか。しかし、それからなかなかヒットが生まれず、1986年に配給したコメディ映画『Playing For Keeps(原題)』は大コケ。従業員も20名まで減少してしまったと米『ザ・ニューヨーカー』誌は報じた。

Translation: Reiko Kuwabara From Esquire

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