ピンクが女の子の色になったのはいつ?
世界中で史上最大級の盛り上がりを見せた国際女性デー。デモンストレーションの象徴となったのは、ピンクの帽子。でも、これは決して「かわいいから」ではないことは明らか。でも、ピンクが「女の子の色」になったのっていつから? その経緯を追えば、ピンクハットの意味深さがわかってくる。
では、いつの時代に「ブルーは男の子の色、ピンクは女の子の色」が定着したのだろうか。
ウェブメディア「vox」によれば、1927年に『TIME』誌が行った調査では、アメリカの主要百貨店10店のうち半数、つまりまったく同じ数の店舗がブルーあるいはピンクを「女の子らしい色」として販売していた。つまり、第一次大戦後の時代には特にブルーもピンクも子供の性別にまったく関係なく各店舗が「これがうちの色」として販売していたことになる。
実は、ピンクが「女の子らしい色」とされたのは1953年、ドワイト・D・アイゼンハワーが大統領に就任した直後だ。ドワイトの妻であり、ファーストレディであるマミー・アイゼンハワーのお気に入りの色が単純にピンクだったのだ。ピンクが大好きな彼女が就任式典の舞踏会に無数のラインストーンが散りばめられたピンクのボールガウンを着て登場した。その後も彼女はピンクを着続け、メディアや小売店もそれに続いてピンクを「女の子らしい色」へと押し上げた。1957年に公開された映画『パリの恋人』でも、ケイ・トンプソンが演じるファッション誌編集長がピンクを全面に押し出すシーンが展開されている。この役は当時US『ヴォーグ』の編集長を務めていたダイアナ・ヴリーランドを強く意識したもので、ピンクを謳っているのも、インドに触発されたダイアナの「ピンクは新しいネイビーブルーよ」という言葉を元にしている。
Text : Ryoko Tsukada