特集 2017/3/17(金)
早耳調査隊がゆく

アニメ『美女と野獣』公開4日後に亡くなった作詞家が作品に込めた“遺言”

2017年3月17日(金)の全米公開が待たれる実写版『美女と野獣』。でも、今回の作品の元になったアカデミー賞作品にして歴史的アニメーション、1991年公開の『美女と野獣』を生み出した製作総指揮兼作詞家、ハワード・アッシュマンの名前を知る人はそれほど多くない。公開後4日でこの世をさった悲劇のクリエーターが、この作品に込めた“遺言”を知っていますか?

 

製作総指揮、および作詞を手がけたハワード・アッシュマンは1982年から作曲家のアラン・メンケンとタッグを組んできた。最初の作品はミュージカル『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』。1988年に手がけたディズニー作品『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』を皮切りに、1989年に公開された『リトル・マーメイド』が記録的ヒットを達成。「ディズニールネッサンス」とも呼ばれるディズニーアニメーション映画黄金期をもたらした。
  

1992年04月20日ウェンブリースタジアムで開催された「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」でレッドリボンをつけてパフォーマンスするジョージ・マイケル。

Photo : Getty Images

1989年のアカデミー賞の夜、アッシュマンはメンケンに自分がHIV陽性であることを打ち明けた。アッシュマンは前年の『リトル・マーメイド』と『美女と野獣』を同時進行で製作中に自身がHIV陽性であることを告知されていた。時は80年代末から90年代に移ろうとしているところ。まだエイズ、およびゲイへの偏見が満ちていた時代だ。1991年にフレディ・マーキュリーがエイズによる合併症で死去、翌年1992年にフレディ・マーキュリー追悼コンサートが錚々たるメンバーによってウェンブリースタジアムで開催された、そんな時期だ。クリエイティブ業界はエイズの脅威におびえていた。

そう、『美女と野獣』にはアッシュマン自身のエイズとゲイに対する偏見と闘う姿が投影されていたのだ。それまでは、あくまでベル中心に語られてきた『美女と野獣』のビーストに、アッシュマンが新たな命を吹き込んだ。
 
ガストンに促された村人がビーストを倒しにやってくるシーンの歌詞には、当時ゲイとして、そしてエイズと闘う人間が向き合わねばならなかった偏見と孤独、そして疎外感が強く反映されている。『美女と野獣』と『アラジン』は殆どアッシュマンの病床で製作され、『美女と野獣』の公開のわずか4日後、1991年3月14日にアッシュマンはパートナーと家族に見守られながら息を引き取った。40歳という早すぎる死であった。

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Text : Ryoko Tsukada

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