娘、ナタリーが語る、「ニットの女王」ソニア・リキエルの素顔
2016/11/19(土)
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「ソニア リキエル」2008春夏コレクション、ソニアが手掛けたラストショーのフィナーレ。ソニアとナタリーと手を取り合って歩く姿に、すべての人が惜しみない賞賛の拍手を送った。

このうえなく頭がイカれてて、人間味のある素晴らしい人だった

ELLE : あなたの母親が亡くなったことはモード界のみならず、世界に衝撃を与えました。そのことを予期していましたか?
 
ナタリー : 母はすべての女性たちの代表だったと思いますが、母が亡くなってからのリアクションは想像以上だったわ。フランソワ・オランド大統領やデザイナーのアズディン・アライアをはじめとする多くの方々から追悼の電話を頂いたし、ブティックにバラを置いていく見ず知らずの人もたくさんいて感動しました。道行く人が私を呼び止めて、「あなたのお母さんは私の人生を変えたわ」と言ってくれることもしばしば。母はファッション界で本当の革命を起こしたんだと実感します。 

「ソニア リキエル」2017春夏コレクションでは、「RYKIEL FOREVER(リキエルは永遠に)」と1文字ずつアルファベットが胸もとに入ったセーターを着たモデルが一列に並び、追悼の意を表した。

「ソニア・リキエル」1992春夏コレクション。彼女のショーでは、モデルたちはマネキンのように歩くのではなく、笑顔で自分らしくウォーキング。パーソナリティの重要性が謳われるいま、自分らしさを表現するポジティブな姿勢が新鮮に映る。

ELLE : あなたにとって彼女は何が革新的ですか? 
 
ナタリー : 母は最初、縫うこともデザインすることも知らなかった。でもすべては独学で学べるって信じていたのよ。わざと裏返しに縫ったり、縁取りをすることで、みんなや自分を喜ばせるコツを知っていたの。妥協することはまったくなく、本当に急進的だったのね。私は”ファッションはアートではなく、応用美術だ”って思っているの。アーティストはそれをしないといけないし、そういう意味では母は真のアーティストでした。彼女にとってファッションはあまりにも小さすぎたのかもしれない。母はなんでもやりたがったし、止まることはなかったし、先入観なしにデッサンして装飾して、そして文章も書いたの。 

多くのデザイナーやセレブと親交が深かったソニア。1983年、左から、ジャン・シャルル・ドゥ・カステル・パジャック、ソニア・リキエル、高田賢三、グレイス・ジョーンズ、パロマ・ピカソ。

ELLE : 彼女はどんな母親でしたか?
 
ナタリー : 他人に対しては母は伝説であり、計り知れない女王ですが、私にとっての彼女は、神秘的でもなんでもなかったわ。最期には、私の子どもにさえなったのだから。母がパーキンソン病を患ったときも、私は四女として母の世話をずっとしてきました。その間、このとても輝かしい女性は、このうえなく頭がイカレてるって思うこともあったわ。ある日、母は私のことを「ママ」って呼び始めたの。それは残酷なことだったけれど、今思うといい思い出。「あなたが私のことをママって呼ぶのはいいわ。あなたが私のママである限りはね」と指摘しながら、私も母のことをママと、母も私のことをママと呼んでいたわ。

デザイナーのなかでも特に親交が深かったのが、イヴ・サンローラン。1993年、「イヴ サンローラン」のショー会場で。

Photo: GETTY IMAGES  Interview: OLIVIA DE LAMBERTERIE

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