特集 2016/12/3(土)
FROM ELLE WORLD

ヴィクトリアズ・シークレットのショー、20年の裏歴史を大公開

今年も大盛況に終わった、ヴィクトリアズ・シークレットのファッションショー。今ではすっかり世界中から注目される一大イベントになっているが、その歴史は20年まえに遡る。1995年に始まり、2004年に放送されなかった理由から、アリアナ・グランデ殴打事件の真相まで、今こそ振り返る知られざるヴィクシーショーの裏エピソードを大公開。

今から20年以上前、ヴィクトリアズ・シークレットのチーフ・マーケティング・オフィサーのエド・ラザクの元に一本の電話がかかってきた。相手はヴィクシーの親会社リミテッド・ブランズのCEOでエドの上司にあたるレスリー・ウェクスナー。このなにげない一本の電話が将来ファッション界とテレビ界に劇的な変化をもたらすことに。
ラザクは当時を振り返ってこう語る。「よく覚えているよ。電話がかかってきたとき、車で移動中だった。ウェクスナーは『僕たちはファッションの会社だ。だからショーを開催しなくては』ってね。リミテッド・ブランズは当時たくさんの部門を持っていたけれど、ヴィクトリアズ・シークレットがショーを開催できるだろうと僕は考えたんだ」
これが1994年のこと。そして翌年、ヴィクトリアズ・シークレットの初めてのファッションショーが開催される。今、ヴィクシーのショーはみんなが最も楽しみにしているファッション界の大イベントに成長! トップミュージシャンのパフォーマンスに合わせ、スーパーモデルたちがランウェイを闊歩する。そして世界中で何百万人もの人がテレビでそれを見ているのである。
「最初の年、私たちはショーをどう開催するのかあまりよく知らなかったし、ヴィクシーのショーが多くのモデルを引きつけることもなかった。みんな同じ質問を投げかけてきた。『これは何? なぜこんなことをしているの? どんな感じのショーになるの?』って」とラザク。
現在、私たちがヴィクシーのショーと聞いて期待する、豪華できらびやかなショーに比べて当初のランウェイはみんなの注目を集めるものではなかったもよう。そこで記念すべき第1回目からヴィクシーのショーの歴史を大公開。どのようにして世界で数百万人の人が見る大イベントに成長して行ったのか、プレイバック!
 
1995年 プラザホテル、ニューヨーク
第1回目の開催地はニューヨークのプラザホテル。ラザクは当時をこう振り返る。「2台のカメラで撮っていたと思う。1台はロングショット用、もう1台はクローズアップ用だ。満足いくものではなかったが、翌朝には世界中でニュースになっていた」「ある大手ネットワークは、ショーのことを『世紀のランジェリーイベント』だと称していた。それを見たとき、私たちは『これは何かを秘めているかもしれない』と思った。もう一回やってみよう!ってね」。
 
1996年 プラザホテル、ニューヨーク
この年、初めてファンタジーブラが作られた。身につけたのはクラウディア・シファー。モナコで開催されたプレイベントで撮影され「百万ドルのミラクルブラ」と紹介された。ラザク曰く「クラウディアを装甲車に載せなくてはいけなかった。オテル・ド・パリにつくと、まず2人の武装したガードマンが車から降りて、それからクラウディアが登場したんだ。大騒ぎになったよ」。

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Translation & Text: Yoko Nagasaka Photo: GettyImages

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