特集 2017/8/25(金)
女性たちが支えたアメリカン・アートの歴史 Vol.4

1940~50年代、女性芸術家が闘った“夫”という壁

モダン~コンテンポラリーアートのなかで重要な様式や潮流を発信してきたアメリカン・アート。そこにはあらゆる方面で深く関わった女性たちがいた。今も変わらない男性優位の体制の中、アートシーンを力強く開拓していった女性たちにフォーカスを当てる連載4回目は、1940年代~50年代に活躍した抽象表現主義の女性アーティストたちをフィーチャー。

たった24歳という若さでスターダムにのし上がった天才と恵まれた環境の持ち主、ヘレン・フランケンサーラ―。NYのスタジオにて、1971年。

抽象表現主義界のハッピー・マリッジ。フランケンサーラ&マザーウェル
 
これまでの2組とはまったく別の夫婦の在り方、女性アーティストとしての確立で周囲のアーティスト仲間から「ゴールデンカップル」と呼ばれていたのがヘレン・フランケンサーラーとロバート・マザーウェルだ。ニューヨーク州高位裁判所判事である父を持ち、ニューヨークのアッパーイーストサイドで生まれたフランケンサーラーは、その恵まれた出自のおかげで、15歳から優れた美術教育を受ける。その後、22歳で美術評論家のクレメント・グリーンバーグに出会い、恋愛関係になるとともに、抽象表現主義のアーティストたちを紹介される。24歳のとき、代表作「山々と海(マウンテンズ・アンド・シー)」を発表し、カラーフィールド・ペインティングの先駆者とされる。これほど若くして評価されることは異例だったと言える。例えばほかのアーティスト、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングが評価されるようになったのは40代から50代にかけてだ。

お互いに成功した、マザーウェル(左)とフランケンサーラ―夫妻は1971年に離婚。

Photo: Getty Images

成功の秘訣は「○○の妻とは言わせない!」こと  
 
また、彼女は直接ほかのカラーフィールド・ペインティングのアーティストに影響を与えただけでなく、後のミニマリズムへと繋がる役割を果たした。1957年、同じく抽象表現主義派で、ウェルス・ファーゴ銀行の頭取を父に持つロバート・マザウェルと結婚。若くしてグランド・ツアーにでかけ、おまけに芸術の道に進むための条件として博士号をとったら生涯週に50ドルを与えると父親に約束されたマザーウェルとフランケンサーラーのカップルはほかのアーティスト夫婦から嫉妬も含めて「ゴールデンカップル」と呼ばれるようになった。結婚生活は13年に及び、夫妻は海外にも活躍の場を広げた。この成功した芸術家カップルから学べることは、女性芸術家が成功する秘訣は「○○の妻」と言われないこと。フランケンサーラーはリー・クラズナーやエレイン・デ・クーニングと違い、一方的に「ロバート・マザーウェルの妻」という評価を受けることもなく、自身の制作活動を中断させることなく順調に進めていった。いつの時代も、仕事を妨げない夫をいかに見つけるかは女性の人生を大きく左右するということを教えてくれる。

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Text: Ryoko Oh

  • オー・玲子(ライター・リサーチャー)/学習院大学哲学科美学美術史専攻卒。写真通信社、海外誌を中心にフォトリサーチャーとして勤務後、ライターとして活動。

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