インスタグラムセレブリティVSファッションエディター
第二章・ファッショニスタ、雑誌派 VS ブロガー派
この抗争に油を注いだのが9月26日に「Vogue.com」に掲載されたミラノコレクションでのブリーフィング記事。4人の編集者たちがほぼ意見を同じくして「ブランドが提供した衣装で身を固め、人の行く手を遮りながら、交通事故を起こす危険すら顧みず、写真に撮られまくり、自身も撮りながら練り歩く姿は哀れそのもの。ほかの仕事を探したらいい」と発言したからさあ大変。業界全体を巻き込んで大騒ぎに。
でも実は、こうしたファッション純粋主義者とファッションブロガーたちの戦いは今に始まったことでもない。2013年には『Tマガジン』でスージー・メンケスがスージー・バブルやキアラ、あるいはアンナ・デッロ・ルッソらSNSの人気者を「ファッションのサーカス」と痛烈に批判した記事を掲載した。(後にスージー・メンケスは長年在籍していた『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』を離れ、「Vogue.com」に移籍)
砲撃はこれだけに留まらず、別日には『ニューヨーク・ポスト』が「“インスタグラムセレブリティ”たちがファッション業界を崩壊させている」との記事も掲載された。
騒動に乗り「Vogue.com」にも寄稿するスナップカメラマン、トミー・トンはスタイリストのジョバンナ・バッターリアがアジア系の女性たちに囲まれている写真に長文のコメントをつけたものをインスタグラムに投稿。「着ているアイテムを丹念に訊いてメモするアジア雑誌の女性ジャーナリストの努力に尊敬の念を払っている」と称賛。そのうえで、以前はこうした「おしゃスナ」をたくさん見られるのはアジア系の雑誌のみで、当時のアジア系フォトグラファーたちは非常に静かでマナーを守っていたけれど、今の新人たちは撮りたい人物の名を叫んだり、必死すぎてマナーも節度も忘れていると非難。つまり“プロ”ではないカメラマンが増えて、コレクションの場が堕落していっているという趣旨。この投稿が称賛されるいっぽう、「ブロガーやインスタグラマ―をディスってる」「貴方が非難したげな“プロらしくない”カメラマンを使っているのは早く安く写真が欲しい“プロの会社”」と逆非難されることに。
これらオーソリティを重視する人々に対して、ファッションブロガーとして一世を風靡したスージー・バブルとブライアン・ボーイがまず猛反撃したが、ファッション界をいちばん驚かせたのは『ハーパーズ バザー』の名物ファッションエディターで、US『ヴォーグ』で伝説の編集長となったダイアナ・ヴリーランドの曽孫、アーティストのキャロライン・ヴリーランドがしたためたインスタグラムの投稿だ。アナ・ウィンターの後ろで変顔をしているモデル(実は本人)を捉えたカットに、下記の一文がしたためられている。
「親愛なる『ヴォーグ』誌よ、あなたは私の心の中に特別な場所を占めている存在です。ですが、質問させていただいて宜しいでしょうか?もしあなた方のチームのある人々がブロガーやインフルエンサーを大変嫌っているようなら、なぜあなたがたは販売部数を増加させるために海外版の本誌カバーに彼女たちを起用するのでしょうか? 私はブロガーではありませんが、あなたの直近のコメントは大変古臭く、そして単純に失礼なものだと感じました。私が知っている多くのブロガーは皆勤勉な若き企業家たちです。『ヴォーグ』のような名物的な存在が自分たちの道を作り出している、特に多くの若い女性たちをさしてみじめだとかストリッパーに例えるような彼ら彼女らの品位を落とし、見下すような行為をするのは恥ずべきことではないでしょうか。こういった声は、私の曾祖母がかつて代表していたものとは全く異なっています。あるコントリビューターは人生を満喫しているイタリアの女性がうらやましいと書いていました。恐らく、ほかの人が何をしているかに関して心配したり文句を言ったりすることが少ないことが、嫉妬を抑える役目をしてくれているのでしょう。どうぞ自分の人生を生き、自他ともに許しあって生きていくことはできないでしょうか。これに関しては、すべてのシックな女性達、イタリア女性であろうとなかろうと、皆が同意してくれるものと思います。Xoxo(ちなみにインスタグラムの写真に写っている女の子は朝の9時からボディネットに身を包んでいます)」
Translation & Text: Ryoko Tsukada Photo: GettyImages