特集 2017/11/10(金)

金曜日の毒母たちへvol.1―――ニコ、息子を薬漬けにした60年代アイコン

現在でもスタイルアイコンとして名前を挙げる人が多い、60年代の女神にしてアンディ・ウォーホールのミューズ、ニコ。ドラッグ&ロックンロール旋風の最中で息子アリにしたこと。それはまさに毒母の行いだった。

ニコ自身の少女時代も決して満たされたものではなかった。

Photo: Aflo

彼女の母は、ニコと同じく15歳のころからモデルとして活躍し、のちにクチュリエとなった。しかし、高貴な身分にあったニコの父は娘を認知せず、母を拒絶した。つまり、ニコは母とまったく同じ道をたどったことになる。

父(少なくともニコがそう信じていた)ウィルヘルムは、ナチの強制収容所で亡くなる悲劇に見舞われた。そうニコは周囲に言いふらしていたが、1942年当時、ドイツでビール工場を経営する一家の息子が戦争で亡くなったことが正しいのなら、ドイツ国防軍に志願する形でしか成立しない。そう、つまりはニコの父はナチだったのだ。彼女は出自からして嘘をつかずには過ごせなかった。

1995年のドキュメンタリーフィルム『Nico Icom』内でのアリ(左)とニコ。

Photo: Aflo

1988年にニコは享楽で退廃したリゾート地のイビザで息を引き取る。49年という短く哀しい人生だった。原因は自転車で転んだこと。ヘロインを致死ギリギリまで摂取していたためでもあったが、その頃にはミュージシャンで芸術家のミューズで女優であった彼女のファンと言える人は、息子以外には消え去っていた。
 
死によってふたたび母は息子のもとを去って行った。残された日記には、ベルリンの廃墟のなかで自ら作り出した“ニコ”という虚像に疲れたと書かれていた。オルガン(彼女がレコーディングで演奏していた)によって、戦争時に失われた生気を取り戻すことができたことも……。果たして死によって平安を取り戻せたクリスタ・ぺフゲンは、黄泉の国で生まれ変わることができたのだろうか。

現在、アリは2児の父となっている。息子の名前はチャールズとブランシュ。ニューヨークで破壊され、浮浪者のようになり、病院に収容されたのち、社会復帰に努めたアリ。今はフォトグラファーや俳優として仕事をしている。イザベル・アジャーニと共演したり、実験的な無声映画を制作したりと奮闘。ネグレクトを受けて育った子ども時代を取り戻すことからスタートしたアリはまだ50代だ。

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