特集 2017/11/10(金)

金曜日の毒母たちへvol.1―――ニコ、息子を薬漬けにした60年代アイコン

現在でもスタイルアイコンとして名前を挙げる人が多い、60年代の女神にしてアンディ・ウォーホールのミューズ、ニコ。ドラッグ&ロックンロール旋風の最中で息子アリにしたこと。それはまさに毒母の行いだった。

ニコが亡くなる6年ほど前、20歳の頃と見られるアリ(左端)の写真。

Photo: Getty Images

ようやく母と息子が一緒に暮らせるようになったのは、アリが思春期を迎えた頃。でもそれも束の間だった。再び麻薬に耽溺し始めたニコの行動があまりに危険すぎたからだ。再会した母子が共に過ごした日々は身の毛もよだつようなエピソードで溢れている。息子に初めてヘロインを注射したのは母だった。注射針を買ってきたのは息子。ふたりは同じ欠乏感を抱えていた。まるでニコは恋人のように息子に接し、甲斐甲斐しく世話もしたという。ふたりの薬物依存は、長い間離れていた年老いた母と大人になりきれない息子の、共依存からくる共同作業だったともいえる。その証拠に、イビザで未成年のアリが意識不明の重体に陥ったとき、意識が戻るまでの2週間の間、アリは病院の枕元で人工呼吸器が何回息を吹き込むか毎日ひたすら数えていたという。

1967年、モデルとして写真に納まるニコ。

Photo: Getty Images

イギー・ポップが「ミス・デス・トリップ」とあだ名をつけるまでに危ういニコが、どうしてそうなったのかは、セルジュ・フレイによる伝記本『Nico, femme fatale』に詳しい。ニコに関してはそれ以外にも多くの伝記本や記事が書かれているが、ほとんど美化された真実味の低いファンタジーだ。というのは、それらは大抵彼女自身が根回しをして書かせたものだから。実の両親は別にいて、スペイン人とユーゴスラビアに祖先をもち、母はアヘン中毒者で、父親はレジスタンスだったなどの情報は彼女の創作。ニコは自分の人生における葛藤や事件を長いこと修正しては刷新することを繰り返した。というのも、彼女の出生自体が真実から隠されたものだったからだ。

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