映画界の“レジェンド”がスクリーンでよみがえる!
1993年、23歳という若さでこの世を去ったリヴァー・フェニックスの遺作『ダーク・ブラッド』が約20年の年月を経て完成。カリスマ監督、アレハンドロ・ホドロフスキー作品も連続公開され、映画史を彩る“レジェンド”たちの作品をスクリーンで堪能できるチャンス!
お蔵入りしていた“幻の遺作”が完成!
映画というアートフォームが始まって100年余り。短い軌跡ながら、さまざまな“伝説”がその歴史を彩っている。
スクリーンの美男の系譜において、最大のアイコンのひとりが、リヴァー・フェニックスである。1970年生まれのリヴァーは、10歳の頃からTVに出演し始め、16歳で映画『スタンド・バイ・ミー』(86年)で注目を集めた。やはり当時、人気急上昇中だったキアヌ・リーブス共演、ガス・ヴァン・サント監督の『マイ・プライベート・アイダホ』(91年)でヴェネチア映画祭主演男優賞を受賞。若手のトップスターとなった。日本でも雑誌で特集が組まれるほど大人気となったが、93年、当時ジョニー・デップも経営者に名を連ねていたLAのクラブ「バイパー・ルーム」から出てきたところ、薬物の過剰摂取で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。享年23歳。その若さもあって、今日まで伝説的な俳優として人気を保っている。ちなみに、演技派俳優として大活躍のホアキン・フェニックスは、弟。
さて、そんなリヴァー・フェニックスの“遺作”が四半世紀の時を経て公開されることになった。死亡当時、リヴァーは、ジョルジュ・シュルイツァー監督の『ダーク・ブラッド』の撮影中だった。ユタの砂漠でのロケを終え、LAのスタジオで10日あまりの撮影が開始された矢先だった。主演俳優を失い、お蔵入りとなった“幻の遺作”が、約20年の時を経て、完成した。2007年に動脈瘤で倒れ、余命を宣告されたシュルイツァー監督は、2012年、車いすで動けるまで回復したが、そんな彼が「映画における技術が進歩した今こそ、この作品を完成させるべき」と編集作業に取り掛かったことがきっかけだという。
『ダーク・ブラッド』の舞台は、アメリカ南西部。ハリウッドからやってきた倦怠期の夫婦バフィーとハリーの車が故障、ふたりは砂漠の真ん中でひとり暮らしているボーイの小屋に身を寄せる。ネイティブアメリカンの妻を白血病で亡くしたボーイは、核の脅威に怒りと不安を覚え、もうすぐ世界の終わりがくると信じ、地下シェルターを準備している。そんなボーイは妻のバフィーに興味を抱く……。
金髪の髪を黒く染め、カリスマティックな雰囲気を醸し出しているリヴァー。そのスクリーンを圧倒するような魅力は、今観ても褪せることがない。
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『ダーク・ブラッド』
監督/ジョルジュ・シュルイツァー
出演/リヴァー・フェニックス、ジュディ・デイヴィス
配給/マジックアワー
公式サイト/http://www.dark-blood.com/
2014年4月26日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー
(C)2013 Sluizer Films BV
text : Atsuko Tatsuta