特集 2017/11/6(月)
News Editor's Eye

エレン・デジェネレスの炎上で考える「セクハラは誰のもの?」

人気ホスト、エレン・デジェネレスがケイティ・ペリーの誕生日を祝ったツイッターが炎上した。ケイティの胸の谷間を覗きこむその画像に「セクハラだ!」と非難が殺到。その非難に隠れた悪意=被害者の不在について考えてみる。

(左から)ロバート・ロドリゲス、ローズ・マッゴーワン、ハーヴェイ・ワインスタイン。

受け止める側の大きな違い 

そもそもハーヴェイ・ワインスタインの行為がなぜこれほど大問題になっているかと言えば、「性的行為を強制された」と「被害者が告発」したからであって、第三者が倫理的に間違っていると判断したからではないし、第一、力関係が下の女性を自室に連れ込もうとしたり、全裸でのマッサージの強要、自分の性器を見せつける行為は、いわゆる“ハラスメント”呼ばわりで貶めて済むレベルから程遠い。「いやらしい目線で見た」エレン・デジェネレスと並べて語る主張から透けて見えるのは、強制わいせつや強姦を矮小化したいと考える一種のズルさとも言える。

とはいえ、「いやらしい目で見て」「大きな胸をいじる」のも確かにハラスメントのひとつ。でも、ケイティは少なくとも今のところ反応していない。実は、ケイティとエレンは以前にも同じ写真をふたり一緒にネタにしている。長年の友人であるふたりは、「エレンの部屋」で共演していて、例の写真を撮影された直後に同番組内でこのときのエピソードをネタに、ふたりで息の合った会話を展開していた。

https://www.youtube.com/watch?v=5ysre92g3pE&t=14s  炎上させた人たちが本当に隠したかったもの

 
こういった背景を知っていれば、「セクハラだ!」と直情的に反応すれば自分が恥をかくことは分かるなのに、なぜこの写真に強く反応してしまった人がこれほどまでに多かったのか? そこにこそ、性犯罪やセクハラの本当の闇が隠されているように思える。
 
性的な行為がハラスメントとなるのか、それとも健全な性的やりとりになるのかは、「被害を感じるか否か」にゆだねられている。“被害者”に決定権があると言ってもいい。なのに、いざ事が起こると被害者の声はほとんど取り上げられないし、被害者視点で解決策を見そうとする人も少ない。まるでセクハラの論議に被害者は関わってはいけないかのように……。代わりに出てくるのは「セクハラを生みやすい環境」や「どうすれば加害者から身を守れるか」といった防御策を語り、しまいには「誤解の可能性は?」と、先に加害者擁護から入ることもある。ときには「自分から仕掛ける人もいる」など、まったく関係ない話題を引き合いに出す人しばしばいるし、ひどいときには「冤罪の可能性は?」「フェイクニュースだ!」などと陰謀論をまくし立てたりもする。

被害者中心にセクハラが存在するなんてことを許したら、いつ自分が訴えられるかもわからない。怖くてアプローチもできない……。性的な行為にまつわる可否の決定権を受け身側が握っていることを認めたくない人たちが、どうしても性犯罪やセクハラの問題を被害者不在で理論展開したいと願う苦しい抵抗に思えてならない。

https://www.youtube.com/watch?v=Q9pjDJJeil8

この炎上(under fire)については、CBSのトーク番組「The Talk」で女優のサラ・ギルバートが放った痛快なひと言が本質を突いているように思える(動画00:49~)。「(この炎上は)本当に笑える。私が男だったら友達同士のジョークで片づける……これでは本当の問題があやふやになって(water down)しまう。惑わされちゃダメ。本当に悪いやつは誰なのか。そこをしっかりフォーカスしないと」。

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