エレン・デジェネレスの炎上で考える「セクハラは誰のもの?」
人気ホスト、エレン・デジェネレスがケイティ・ペリーの誕生日を祝ったツイッターが炎上した。ケイティの胸の谷間を覗きこむその画像に「セクハラだ!」と非難が殺到。その非難に隠れた悪意=被害者の不在について考えてみる。
“なんでやねん”
「女性が女性にセクハラしてもいいのか問題」に湧き出る疑問
え、どうして? エレン・デジェネレスがケイティの胸を覗きこむ写真が「セクハラだ」と炎上した一連のニュースに、そう感じた人は多いはず。
カミングアウトしたレズビアンとしても有名な、全米随一のテレビホストであるエレン・デジェネレス。そんな彼女がケイティ・ペリーの誕生日の10月25日、一枚の画像を投稿。ケイティのヒット曲“Birthday”の歌詞をもじって「さあ、大きなバルーンを飛ばすときよ!」とコメントも付けた。2013年のグラミー賞時に撮影されたその写真には、妻のポーシャ・デ・ロッシの腰に手をまわしながら、ケイティの胸を覗きこむエレンの姿が映っていた。これが、「セクハラだ!」と炎上。
批判者たちの主な理由は「ハーヴェイ・ワインスタインやその他の男性が同じことをしたら、セクハラだと言われる」「面白いけどダブルスタンダードだ、特に今の時期は。エレンがこんなことするなんて」「女性なら許されるというのは不平等だ」「ハーヴェイ・ワインスタインはセクハラで裁かれて、エレンなら裁かれないのか」「エレン・ワインスタインだ!」といったもの。イギリスの有名司会者ピアース・モーガンなどは「男がこの冗談をやったら、エレンは『性差別主義者の豚!』と叫ぶことだろうよ」と皮肉を込めてつぶやいた。
セクハラは被害者のもの
でも、セクハラや痴漢に晒されている人たちは、これが頓珍漢なツッコミだと知っている。なぜならセクハラなのかどうかは“被害者”、つまりはケイティが決めること。もちろんこれが周囲の人にとっても「性的に不快」であればセクハラとして訴えることも可能だけれど、批判者の多くは「自分が不快に思った」のではなく「男だったら不快だと言われるのに女性だったら不快じゃないのはおかしい」という言い方で、そこにケイティ当人への思いやりがあるわけではない。
さらに言えばこの主張には、「やった側がどういうつもりだったかは関係ない」というセクハラの原則がすっぽり抜けている。いやらしい下心なんてありませんでしたといくら加害者が主張したところで、当人が不快だと感じればセクハラになる。被害者が意図せず合意なく行われた性的な行為はすべてセクハラであり、犯罪なのだと、性的嫌がらせに怯えたことのある人は全員知っている。