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写真左上/“読書をしたことがない”と語るヴィクトリアが、半生を綴った伝記本『翼をひろげて飛ぶために』を発表。 右上/長男のブルックリンをベビーカーに乗せて、母親とLAにてショッピングを満喫。 右下/「マリア グラチョボゲル」の2000春夏コレクションでランウェイを颯爽とウォーキング。 左下/ロンドンの「ハロッズ」のセールのオープニングに笑顔で登場。パパラッチに笑顔を頻繁に見せていたのはこの時期まで。

Photo : Getty Images, Aflo

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【2000-2002】 セレブ化に伴いヘイター増加の悲劇

ベッカム夫婦の“スター化”が、出る杭を打ちたいタイプの関係者やメディアを刺激したのか、デビッドに対するバッシングが噴出。実力アップに逆らうように、批判記事が続出し、同時に「ヴィクトリアと結婚したせい」とする魔女狩り的な評判も増加するという最悪の事態に。

特に顕著だったのが、病気の長男を看病するために夫、デビッドが練習を休んだとき。当時のマンチェスター・ユナイテッドの監督までがヴィクトリアを非難し、5万ポンドもの罰金を課したのは有名な話。仕事に出ていたヴィクトリアの代わりに看病したベッカムを「無責任」「妻に任せろ」「夫の練習と妻の社交とどっちが大事だ」と、完全にヴィクトリアを悪者にする意見が多勢となった騒動だった。

監督に嫌われてもベッカムは中心選手であり続けたが、2002年の日韓ワールドカップで例の“モヒカンヘア”を世界的に流行らせたころには、監督との仲は最悪なものになり、その後ついには2003年、流血事件(報道によるとロッカールームで言い争いの途中、監督が投げたスパイクがデビッドの顔にあたり手術が必要なまでに出血)を起こすまでになってしまう。

落ち目になりかけていたスパイス・ガールズが活動を休止し、2001年にヴィクトリアが自伝本を出版した際、ゴーストライターがいたことが発覚。彼女の名前が世界に知れ渡るほどに、つけ狙ってきた世間のバッシングの恰好の的になってしまった。

エンタメの世界で、夫婦そろってセレブになってもなお、もしくはなったからこそ“嫌われ者”の役割がついて回る。それでも気にせず突き進むヴィクトリアに、さらなる逆風が……。

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photo : AFLO、Gettyimages

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