特集 2017/7/2(日)

藤井四段ブームによぎる不安。14歳の天才チェス棋士がたどった波乱の人生

将棋界では14歳のプロ棋士藤井聡太四段が連勝記録を樹立した。連日連夜マスコミは騒ぎ、彼の動向を追いかけているが、今からおよそ70年前、アメリカで同じく14歳の少年がチェスの世界を席巻した。国の威信まで背負うチェスのトッププレイヤーとなった彼がたどった波乱の人生とは?

1959年、15~16歳頃のボビー・フィッシャーの写真。

Photo : Aflo

ボビー・フィッシャー。
 
14歳でプロ棋士になった藤井四段よろしく、14歳でチェスのタイトル、インターナショナル・マスターを得たこの有名すぎる名前とともに、彼がたどったのは、彼の才能を利用しようとした国家と熱狂するマスメディアに翻弄される人生だった……。
 
https://www.youtube.com/watch?v=xFHvH9FtACg
(映像)ボビー・フィッシャーの伝記映画『完全なるチェックメイト(’14)』 
 
第二次大戦末期の1943年、貧しいが優秀だったユダヤ人の母レジーナのもと、シカゴに生まれたボビーは6歳でチェスを始めると、7歳でブルックリン・チェス・クラブに誘われ、12歳にはマンハッタン・チェス・クラブに入会という異例の扱いを受ける。
 
棋譜だけを頼りにゲーム法を習得。「実力だけがものをいう」からこそ好きになったというチェスにのめりこみ1956年、13歳にして元全米チャンピオンを負かしてしまう。そして15歳にしてチェスの世界で一部の人間のみが得られる最高位グランドマスターの称号を得る。最年少での快挙だった。

ボビー・フィッシャーは数々の映像作品に取り上げられてきた。これは『ボビー・フィッシャーを探して(’93)』のワンシーン。

Photo : Aflo

しかし、この成功が彼の苦難の道の始まりだった。父はユダヤ系ドイツ人の生物学者で、母はスイスで生まれたのち、米国やドイツの大学にも留学した才女。秘書となり、速記もタイプライターもできたかなりIQの高いキャリアウーマンだった母親のレジーナは、優秀さを買われてソ連でも勉強。フランスへ渡ったこともある。6か国語を操るコミュニケーション・スキルと各国を渡り歩いた経験の多さから、息子の成功をスマートに後押ししていた彼女は、当時国の威信をかけてチェス選手を育てていたソ連と直接交渉。政府が全米チャンピオンを招いての対戦にボビーを招待することになった。しかしそのせいで、レジーナはなんとFBIからスパイ容疑者として監視されるようになってしまう。
 
ときは冷戦まっただ中。実は父親にもスパイ容疑がかかっていたボビーは、幼少期から常に監視の恐怖と闘うことに……。伝記映画『完全なるチェックメイト(‘14)』では、盗聴器を探すために宿泊先の機械という機械をすべて分解してしまうという“奇行”も描かれている。

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