アン・ロー : ジャクリーン・ケネディをファッショニスタに育てた悲運の女性デザイナー
2016/11/24(木)
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Photo : Courtesy of EBONY Magazine

名前を消されたジャクリーン・ケネディお気に入りデザイナー

デザイナーのアン・ローは1898年アラバマ州生まれ。曾祖母がアラバマのプランテーションで働く黒人奴隷だった。祖母と母から針仕事を習い、モンゴメリー家(アメリカに最初に入植した名家のひとつ)をはじめとするアメリカ上流階級のドレスの仕立てを引き受けていた。結婚した夫が妻が仕事することを許さなかったため、アン・ローは息子を連れて1917年、ニューヨークに移住。仕立師養成学校に通うが、黒人だったため、ひとりだけ白人とは別の教室で学ばされていた。
 

 
 

オリヴィア・デ・ハイランド(左)

2年後、フロリダ州タンパに移住すると初のサロン「アニー・コーエン」(この苗字だとユダヤ人経営らしく見える)を開き、資金を貯めると1928年にニューヨークに戻り、「ヘンリ・ベンデル」、「シェ・ソニア」、「ニーマン・マーカス」や「サックス・フィフス・アベニュー」などからの仕事を請け負うようになった。1946年には『遥かなる我が子』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したオリヴィア・デ・ハヴィランドのドレスをデザインした。最も、デザインクレジットには別名が記載されていたが……。

Photo : Courtesy of The Museum at FIT

1950年には2店目となる自身のサロン「アン・ローズ・ガウンズ」を開店。最良の生地を用い、オリジナルのデザインを誇るこの店はオーチンクロス家、カーネギー家、ロックフェラー家、デュポン家など多くの名家の秘密兵器として贔屓された。なぜ、アメリカの名家たちがこの黒人女性の小さな店を贔屓にしていたのか。本来ならば時代的には最も忌避されるはずの……。
 
理由はごく簡単、お金の問題だった。時は大不況のまっただなか。アメリカ上流夫人はもちろん専業主婦で、夫から被服費をあてがわれ、そのなかでやりくりしていた。でも、ステキなワニ革のバッグを買った直後に、「ジバンシィ」のショーで抗いがたいアンサンブルを目にしてしまったら? そう、アン・ローのドレスは最上の生地を使い、独特のデザインで、なおかつ安かったのだ。実際、50年代から60年代にかけて、当時の『ヴォーグ』、『ヴァニティ・フェア』、『タウン&カントリー』など名だたる雑誌で彼女のドレスが使用されていた。無論、別のクレジット名で。
 
実際、ジャクリーンの義妹にあたるニナ・オーチンクロスも彼女のデザインしたドレスを着て「今年のデビュタント」として『ヴォーグ』に掲載された。
 

Text : Ryoko Tsukada

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