特集 2017/12/14(木)
FROM ELLE WORLD

「ハウス・オブ・カード 野望の階段」の主役が最初からクレア・アンダーウッドであるべきだった本当の理由

主演男優ケヴィン・スペイシーのセクハラ問題で窮地に立たされていたNetflixの人気オリジナルドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」だが、この度、スペイシーと一緒にドラマを引っ張ってきたロビン・ライトを新たに主役に据えて、最終シーズンへと進むことが発表された。一見、急場しのぎに見えるこの解決策だが、同作品を通して見てきた人々にとっては至極まっとうなチョイスだと思えるよう。同作品の主役は、ずっと前からクレア・アンダーウッド(ロビン・ライト)であるべきだった、というその理由をUS版エルのエンタメ担当エディターが熱く語る。

実際は、フランク・アンダーウッドというキャラクターはスペイシーが失脚する随分前から既に終わっていて、数シーズン前からこのドラマを持たせていたのはライトだった。「ハウス・オブ・カード」は遅きに失した感がある。責任者のボー・ウィリモンが抜けたあとにスタートしたシーズン5はほとんど話題になることもなく、寒くて、繰り返しばかりの物語の性質が今までになく明らかになった。当初はフランクの反社会的で攻撃的な機知に富んだセリフや、ウインクしながらカメラに向かって語る独り言が面白かったため、彼の空虚さは重要ではなかったけど、シーズン2、そしてシーズン3と進むにつれて、その紋切り型の切り回しは古臭くなっていった。
 
人間味や情熱もない、権力そのものを求める中身のない男、という役どころで出来ることは限られている。確かに彼は時にウォルター・ホワイトとトニー・ソプラノというテレビ黄金期のキャラクターを合わせたような人物だったが、フランク・アンダーウッドはいわゆるアンチ・ヒーローではない。彼は長編の物語に耐えうるほどの深みやニュアンスを持ち合わせていない、一元的な悪役だ。それ故に、オリジナルのイギリス版「ハウス・オブ・カード」は3つのミニシリーズに分けられた12話のエピソードで終わっている。
 
スペイシーの大げさで勿体ぶった演技はワンシーズンは楽しいが、決して"プレステージTV"(映画に匹敵するような優良テレビ番組を称するときに使われる)に相応しいものではない(2015年のエミー賞受賞は当時困惑したが、振り返ってみると更にその思いは強い)。
 
スペイシーの演技についての誇張された評判によって、彼の行いに監視の目が行き届かなかったことにも注目したい。
スペイシーが言われているような利己的な行為を大っぴらにやりおおせたことが理解しがたいなら、(番組が初めて発表された)2011年、あのケヴィン・スペイシーがテレビをやる、しかもNetflixというオリジナルシリーズを作ったことがない、目新しくて、確証もないストリーミング・プラットフォームで、という事実を考えてみれば良い。おそらく撮影現場ではスペイシーに逆らえるものは誰もいなかっただろし、脚本家がスペイシーの演じる役のために無駄骨を追っていることが批評家にも視聴者にも明らかだったとしても、彼が締め出されることなどありえなかっただろう。
 
ライトを中心に据えたファイナルシーズンとなることが確定して以来、私はクレアはフランクよりもずっと魅力的なキャラクターだということを考え続けている。彼らはコインの表と裏の関係で、冷酷で計算高く、人間味が薄く、どんな犠牲を払っても権力そのものを求める人種だ。だが。クレアは自分の行いが招いた結果をフランクよりもずっと深刻に受け止める。シーズン3では、ロシアのLGBT活動家の自殺に心を痛め、ロシアの指導者を非難するような政治的に無分別なスピーチをしてしまう。それはフランクの場合には見たことがないような、イデオロギーのほころびで、そのような瞬間にクレアのキャラクターは魅力を感じさせるのだ。

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Photo: Getty Images Translation & Text: Naoko Ogata

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