特集 2017/3/8(水)
News Editor's Eye

エマ・ワトソン騒動が教えてくれた「ファッションはフェミニズム」

下乳を見せたエマ・ワトソンが“フェミニスト”たちにSNSで噛みつかれた。「あなたはフェミニストではない」と。そこから見えてくるファッションとフェミニズムの共通点とは?

エマ・ワトソン(Emma Watson)

Photo : Getty Images

下乳を見せたエマ・ワトソンが自称“フェミニスト”たちにSNSで噛みつかれた。「あなたはフェミニストではない」と。
 
それに対して直後にこんな反論も出てきた。「自分の体をどう扱うのかは、自分で決めることができる」。
 
フェミニズムの解釈を巡ってのこの論争を眺めていると、ファッションを巡る論争と相通じるものを見たような気がする。
 
「そんなのファッションじゃない」と言う人がいると思えば、「何を着ようが好きなものを着ればいいんだよ」などと反論がおきていちいちうるさい。五月の蝿と書いてうるさい。
 
ふたつの果てしないように見える論争を解決するキーワードはおそらく「自覚的選択」。言い換えれば「自己決定」。

レディー・ガガ(Lady Gaga)

Photo : Getty Images

『ヴァニティ・フェア』誌で、まるで第59回グラミー賞時のレディー・ガガのごとく、アンダーバストを露出した姿で登場したエマ。かつてビヨンセのミュージック・ビデオを見て、「男性的な視線を感じて葛藤する」と語っていた、フェミニストである彼女が自ら性的視線を浴びる行為は「フェミニズムを語っていながら矛盾した行い」で「そんな程度でフェミニズムを語るなど偽善」らしい。
 
よく似た現象で、「これはファッションだ」「これはファッションでない」と決めたがる人がいる。「ファッション」を「おしゃれ」に言い換えるとわかりやすいかもしれない。「これはおしゃれ」「これはダサい」とかとか。
 
“ファッション・ピーポー”と聞いて多くの人が思い浮かべるのも、この“おしゃれorおしゃれじゃないか、線を引きたがる人々”になってしまっている可能性が高い。典型的なテレビ的“ファッション・チェック企画”でよく見受けられるのもコレで、今は亡きジョーン・リヴァースが、自分の佇まいはさておいて超毒舌で他人のドレスや体型を斬っていた高視聴率ファッション番組「ファッションポリス」が有名だが、今やネット動画でも一般の人がセレブのドレスに対して彼女同様に他人を批評する映像が溢れているし、実際にかつての「エル・オンライン」もそんな記事を作っていたことがある(なぜなら反応がいいから)。
 
じゃあ、ファッションをジャッジすること、それ自体が悪いことかというと、そうでもない。大抵の人は、例外を除き外見をジャッジしている。裾広がりのスリムデニムを穿いてつま先のとがったリザードのシューズを合わせている男性が目の前に現れれば「時代がズレている?」と思わざるをえないし、一周まわって今トレンドになっている肩パッド入りジャケットだったとしても、それに巨大な“移動式電話”をコーディネートして「しもしも?」と言っていたら、バブルの遺産にしか見えないその眼のほうを疑わなければいけないのだろうか? オーソドックスなスーツを着ていると堅い仕事をしているように見えることすら否定し、昼間にサテンのスリップドレス調のソワレを着ていたら「時間帯を間違えてる」とツッコミたくなる衝動を抑えなければいけないだろうか?

ジョーン・リヴァーズ(Joan Rivers)

Photo : Getty Images

ファッションは「型」のある「表現」。そこには隠された言葉がある。だからこそ、たとえば平野ノラが登場すると、ひと目で「バブルのカリカチュア」で「面白おかしい服」と理解することができる。それを「笑うなんてひどい! 何着たっていいじゃない。ノラのファッションもおしゃれだよ! みんなよくてみんないいbyみつお(※)」なんて褒めてしまったら、ノラは芸人魂を踏みにじられてしまうし、服装を表現のツールとして使えなくなる。そのファッションが過去なのか今なのか、称賛か嘲笑のどちらに値するのか、もっと端的に言えばダサいのかイケてるのか判断なくして、服飾という表現方法は成り立たない。

 
確かにファッションをジャッジされることに臆病な人がいる。「ダサいと言われたくない」「古いと言われたくない」「似合ってないと言われたくない」「ファッションってなんだか怖い!」と……。なぜそれほど他人の視線で判断されることに恐れを抱くのかといえば、おそらく自分が着ているファッションの“意味”を自覚的に選んでいないから。「たぶんあの場ならこれがふさわしいと思われるだろう」とか「あの人はこれが好きだと思ってくれるだろう」とか、他人の評価基準を推し量って選んでいる。そういう人は自分がおびえているぶん、ちょっと変わった服を着ている芸能人を見ては「あの服変だと思わない?」と隣の人に確認せずにはいられず、「やっぱりみんな変だと思ってるんだ~」と仲間を見つけるやいなや、SNSに「○○が『××』で着てた服ってヘンじゃね?」とか自分の評価を書き込んだりするジャッジしたりしたがり、あるいは「服なんて意味がない!」と全否定の方向にベクトルが動いてしまう危険性が大いにある。
 
でも、結局他人の判断基準なんてしょせん他人の脳内のこと、最終的にはわからない。だとすれば「自分はこう見られたいからコレを着ています」と堂々と説明できればそれでいいはず。究極、その場のファッションのマナーを破っていたとしても、ダサく見えたとしても、「マナーを破っていること(もしくはダサく見えること)は分かっています。それで追い出したいならお好きにどうぞ。でも私は破っている(ダサい)自分を表現したいのです」と言えれば、それがファッションだと思う。

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  • (※)2017.3.14追記:冗談です。ほんとうはみすずのほうです。

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