エディターズPICK 2015/11/25(水)
早耳調査隊が行く!

【vol.1】大統領の消された妹:アメリカのファッション史を築いたケネディ家の女たちの光と影

ジャクリーン・ケネディ・オナシス、その妹のリー・ラジウィル、ジョン・F・ケネディJrに嫁いだキャロリン・ベセット・ケネディ。ファッション・アイコンとして今もなお絶大な人気を誇り、現在も影響を与えているケネディ家の女性たち。でもその陰で人知れず存在を葬られた長女がいた……。華麗なる一族に隠された悲劇の長女、ローズ・マリーの人生が最新の資料に基づき1冊の本「ROSEMARY The Hidden Kennedy Daughter」として出版されたばかりの今、ケネディ家の女性たちのパワーを振りかえれば、その分だけ強かった影の部分も見えてくるはず。初回は大統領の妻、ジャクリーンの物語。

ジャクリーン・ケネディ・オナシス(Jacqueline Kennedy Onassis)

2度の死別のあと、自分の仕事に集中。生涯の恋人との出逢い

ジャクリーンはニューヨークに戻り、週の半分をダブルデイ社で編集者として働き、シングルマザーとして2人の子供たちを育てながらマンハッタンで暮らしていたが、1979年ごろ、モーリス・テンペルズマンと交際を開始させている。
 
彼はアントワープのイディッシュ系ユダヤ人でダイヤモンドブローカーの息子として生まれ、“アイデアル(理想の)カット”を誇るダイヤモンドカッターのラザール・カプラン(後のサン・ラザール・ダイヤモンド)の理事を務め、また、世界に90人以下しかいないダイヤモンドのサイトホルダーとして財を成した富裕なビジネスマンだった。2人の出会いは遡ること1962年。テンペルズマンの妻と共にホワイトハウスで開催されたディナーパーティの席だった。物静かで博識、そして雑事に煩わされず、静かな日々を過ごしたいと思っていたジャクリーンにとっては理想的な相手。テンペルズマンはジャクリーンの会計を一手に担うことで彼女を助け、長い法廷闘争の末勝ち取ったオナシスの遺産を投資によって倍額に増やしている。
 
ジャクリーンのアパートメントの主寝室にジャクリーンが眠り、テンペルズマンは客室で眠る。結婚という枠にとらわれない2人の関係をジャクリーンは愛していた。1986年には娘キャロラインの結婚式を一手に取り仕切り、晩年は孫と一緒にセントラル・パークを散歩するジャクリーンの姿が捉えられるようになった。1994年、ジャクリーンが亡くなったとき、彼女を看取ったのは2人の子どもとテンペルズマンだった。
 
終生パパラッチに悩まされ、訴訟まで起こすこともあったものの、ファーストレディ時代から自分の写真が載っている新聞や雑誌を見るのが大好きで、シークレット・サービスに頼んで買ってきてもらい、欠かさず目を通していた。ファーストレディ時代お気に入りだったマーク・ショー、その時代のホワイトハウスを執拗に追ったマグナムのコーネル・キャパ、その他パリ、ギリシャ、彼女が行くところ全てに有名無名のパパラッチ、フォトグラファーたちがいた。20世紀において、彼女以上に、あるいは彼女と同じほど多く写真に撮られた女性は故ダイアナ妃しかいない。それほどまでに、大衆に愛された女性、それがジャクリーンという大統領の妻だった。

>>第2回大統領の義理の妹、リー・ラジウィルの物語へ続く

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Photo:GETTY IMAGES Text:Ryoko Tsukada

  • (参考文献)
    ローレンス・リーマー「ケネディ家の女たち」
    Edward Klien 「Just Jackie : Her Private Years」 
    ネリー・ブライ「ケネディ家の悪夢 セックスとスキャンダルにまみれた3世代の男たち」 
    クリント・ヒル「ミセス・ケネディ 私だけが知る大統領夫人の素顔」

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