【vol.1】大統領の消された妹:アメリカのファッション史を築いたケネディ家の女たちの光と影
ジャクリーン・ケネディ・オナシス、その妹のリー・ラジウィル、ジョン・F・ケネディJrに嫁いだキャロリン・ベセット・ケネディ。ファッション・アイコンとして今もなお絶大な人気を誇り、現在も影響を与えているケネディ家の女性たち。でもその陰で人知れず存在を葬られた長女がいた……。華麗なる一族に隠された悲劇の長女、ローズ・マリーの人生が最新の資料に基づき1冊の本「ROSEMARY The Hidden Kennedy Daughter」として出版されたばかりの今、ケネディ家の女性たちのパワーを振りかえれば、その分だけ強かった影の部分も見えてくるはず。初回は大統領の妻、ジャクリーンの物語。
再婚でまたもファッションアイコンに
大統領の死後5年を経た1968年10月20日、アリストテレス・オナシスが所有するスコルピオス島で結婚式が執り行われた。新婦に贈られたのはジャクリーンの誕生石である17.68カラットのルビーを1カラットのダイヤモンドが取り巻いたエンゲージメントリング、エンゲージメントリングと対になる「ヴァン・クリーフ&アーペル」のカボションカットを施したルビーのイヤリング、そしてルビーをはめ込んだゴールドのブレスレットを贈った。新婦がウェディング・ドレスに選んだのは「ヴァレンティノ」のアイヴォリーカラーのシルクシフォンのレースのトップとプリーツスカートのアンサンブル。ドレスと同じ生地のリボンを髪に飾った彼女の姿は巷のニューススタンドに溢れた。
結婚の翌年、ジャクリーンの40歳の誕生日には40.42カラットのマーキースシェイプのダイヤモンド“レソトIII”、アポロ月面着陸の模様を描いたイヤリングが贈られた。だが子供たちが学齢に達していたため、夫妻は結婚当初から離れて暮らすことが必然的に多くなった。結婚後すぐ、オナシスは長年の愛人、マリア・カラスとの交際を再開させた。結婚1年目、2人が共に過ごしたのはたった225日で、残りの140日はお互い合せて5つ以上になる居住地で別々に暮らしており、ともに過ごす日々は年を追って少なくなっていった。
1973年、アリストテレス・オナシスの長男、アレクサンダーが飛行機事故で不慮の死を遂げると、ギリシャの海運王は悲しみにくれ、アルコールに耽溺し始めた。その後離婚に向けて話し合いが進みだすも、1975年、長年の体調不良が悪化、フランスで死去する。ジャクリーンは臨終に立ち会えず、2人目の夫を亡くしたジャクリーンを慰めたのはアリストテレス・オナシスの妹、アルテミスだった。
「なんて自分は脆い存在なんだろうと感じるの。私の悪運の全ては自分の責任だわ。最初の夫は私の腕の中で死んだ。いつももっと身辺警護に気を配るように言っていたのに、彼は聞かなかった。2番目の夫が死ぬ前にも、私はいつも健康に注意するように言っていたけど、彼は聞かなかった。結婚してすぐ死んでもおかしくない状態だったのに、医者にも行かなかった。何をしても、私は愛した2人の男性どちらも救うことができなかった。」と嘆くジャクリーン。そんな彼女に、アルテミスはこう言って再婚を促したという。「それも神のご意思よ。お子さんの面倒を見て、あなた自身のための新しい人生を作りなさい。ジャッキー、あなたはとても若くて美しいわ。あなたを幸せにしてくれる男性を見つける必要があるわ」。
Photo:GETTY IMAGES Text:Ryoko Tsukada
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(参考文献)
ローレンス・リーマー「ケネディ家の女たち」
Edward Klien 「Just Jackie : Her Private Years」
ネリー・ブライ「ケネディ家の悪夢 セックスとスキャンダルにまみれた3世代の男たち」
クリント・ヒル「ミセス・ケネディ 私だけが知る大統領夫人の素顔」