【vol.1】大統領の消された妹:アメリカのファッション史を築いたケネディ家の女たちの光と影
ジャクリーン・ケネディ・オナシス、その妹のリー・ラジウィル、ジョン・F・ケネディJrに嫁いだキャロリン・ベセット・ケネディ。ファッション・アイコンとして今もなお絶大な人気を誇り、現在も影響を与えているケネディ家の女性たち。でもその陰で人知れず存在を葬られた長女がいた……。華麗なる一族に隠された悲劇の長女、ローズ・マリーの人生が最新の資料に基づき1冊の本「ROSEMARY The Hidden Kennedy Daughter」として出版されたばかりの今、ケネディ家の女性たちのパワーを振りかえれば、その分だけ強かった影の部分も見えてくるはず。初回は大統領の妻、ジャクリーンの物語。
赤く染まったピンクの「シャネル」スーツ
1963年11月22日、ジョン・F・ケネディが暗殺される瞬間が訪れた。オープンカーの後部座席で夫が頭部に銃弾を受けた瞬間、ジャクリーンが来ていたピンクの「シャネル」のツイードで仕立てられたスーツは真っ赤に染まることになった。彼女付きのシークレット・サービスが何度も着替えを促したが、「犯人に自分がどんな事をしたのか見せつけてやりましょう」とがんとして着替えなかった。その後24時間、彼女はそのピンクと紺の「シャネル」ツイードのスーツを着続け、今なお語り継がれる伝説となっている。
大統領の死後、ジャクリーンに言い寄る男性は数多くいた。アリストテレス・オナシスもそのひとり。彼は大統領の死後変わらず、ダイヤモンドのブレスレットを忍ばせた花束をニューヨークのアパートメントに送り続けていた。1968年の5月、クリスティーナ号でアリストテレス・オナシスはジャクリーンにプロポーズ。大統領の死後、実の妹のリーよりも親しくなっていた大統領の弟、ボビー・ケネディはこれに激怒。大統領予備選を控えていた彼にはジャクリーンの力が何としても必要だったのだ。ボビーは彼女の説得を試みるが失敗。同年、ボビーが兄と同じく凶弾に倒れると、彼女とケネディ家を結びつけるものはなくなった。アリストテレス・オナシスとの婚前契約はケネディ家のもとで仕切られ、結婚式の2日前に初めてこの事を知ったケネディ家の女家長、ローズが意外にもこの結婚を後押しする。
Photo:GETTY IMAGES Text:Ryoko Tsukada
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(参考文献)
ローレンス・リーマー「ケネディ家の女たち」
Edward Klien 「Just Jackie : Her Private Years」
ネリー・ブライ「ケネディ家の悪夢 セックスとスキャンダルにまみれた3世代の男たち」
クリント・ヒル「ミセス・ケネディ 私だけが知る大統領夫人の素顔」