【vol.1】大統領の消された妹:アメリカのファッション史を築いたケネディ家の女たちの光と影
ジャクリーン・ケネディ・オナシス、その妹のリー・ラジウィル、ジョン・F・ケネディJrに嫁いだキャロリン・ベセット・ケネディ。ファッション・アイコンとして今もなお絶大な人気を誇り、現在も影響を与えているケネディ家の女性たち。でもその陰で人知れず存在を葬られた長女がいた……。華麗なる一族に隠された悲劇の長女、ローズ・マリーの人生が最新の資料に基づき1冊の本「ROSEMARY The Hidden Kennedy Daughter」として出版されたばかりの今、ケネディ家の女性たちのパワーを振りかえれば、その分だけ強かった影の部分も見えてくるはず。初回は大統領の妻、ジャクリーンの物語。
誰よりも“できる”男性との結婚と悲劇
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった上院議員、ジョン・F・ケネディは今後のキャリアの為に結婚する必要があった。当時の社会では、30歳を過ぎてなお独身の男女は何らかの欠陥があるか、あるいはカトリック社会では「到底受け入れられない」性向の持ち主だと受け取られかねなかったから。実際、ジョン・F・ケネディは父親譲りで女性関係は華やかだったが、「男友達と一緒にいる方を好む」という噂が持ち上がっていた。そこで1951年からジャクリーンとジョン・F・ケネディは交際を開始するが、実はお互い別の相手と付き合い続けていて、婚約した時には周囲の人が驚いたほど。プロポーズは電報で伝えられ、新郎は「ヴァン・クリーフ & アーペル」のエメラルドとダイヤモンドのエンゲージリングを送ったそう。結婚式は新婦の実家である広大な邸宅、ロードアイランドのハマースミス・ファームで執り行われ、参列者は700人、出席者は1200人という盛大な社交イベントになった。
ところが結婚後、数年間で夫婦関係はほぼ破綻。そのうえ悲劇的な事件が続出する。夫の手術、結婚後1年目の流産、そして長女アラベラの死産。さらに彼女は次男パトリックを生後2日で亡くし、その悲しみから立ち直ることができないまま、結婚3年後には別居状態に入ったと言われている。しかし、そこからファーストレディへの道が始まることに。
Photo:GETTY IMAGES Text:Ryoko Tsukada
-
(参考文献)
ローレンス・リーマー「ケネディ家の女たち」
Edward Klien 「Just Jackie : Her Private Years」
ネリー・ブライ「ケネディ家の悪夢 セックスとスキャンダルにまみれた3世代の男たち」
クリント・ヒル「ミセス・ケネディ 私だけが知る大統領夫人の素顔」