エディターズPICK 2016/3/30(水)
早耳調査隊が行く!

美しく、セクシーであるとき、女性は最も弱い

キム・カーダシアンがまたしても全裸インスタを投稿したことで、「女性セレブたちがSNSでヌードになるのは是か非か」という論争が巻き起こったのは記憶に新しいところ。その最中キム擁護にまわり、自らもヌード画像を投稿したのがモデル、エミリー・ラタコウスキー。なぜ今、女優として羽ばたこうとしている時期にキム側についたのか。その背景には、“美しい”からこそ叩かれた幼い頃の経験があった……。

映画『ゴーン・ガール』でベン・アフレックの若い愛人役が衝撃的だったエミリー。人気ドラマ「アントラージュ オレたちのハリウッド」の映画版や、ザック・エフロン(左)の相手役を演じた『We Are Your Friends(原題)』に続き、制作中の『Cruise(原題)』では主演を務める。

Photo : Getty Images

2月、レナ・ダナムによる無料ニュースレター、「Lenny」に人気モデル、エミリー・ラタコウスキーがエッセイを寄稿した。ちょうどその時、レナ・ダナムが子宮内膜症に悩んでいることを発表したばかり。この時のニュースレターは「女性は弱くたっていい」というテーマを謳ったもの。私たちには生理がある。仕事場でも緊張を強いられる。もちろん、出産という人生の一大事もある。レナのように、女性特有の病気に悩まされながら日々仕事に邁進している、あるいはせざるを得ない人がほとんど。

そういった諸条件を持ちながら男性と同等に働き(もちろん賃金は男性より低い)、誰だってボディシェイマーに悩まされている。

「美しいひと」の代表、エミリー・ラタコウスキーでさえ、それは同じ。

性差別的だと非難されたロビン・シックのヒット曲、『ブラード・ラインズ~今夜はヘイ・ヘイ・ヘイ♪』のMVでもヌードを披露し世界中の注目の的に。しかし「出演を後悔している。ヌードになる必要はなかったと思う。今依頼されたらノーと答える」と暴露してそれも話題に。

ロンドン生まれで、2014年の『スポーツ・イラストレイテッド』の水着特集号のルーキーに選ばれ(同期はジジ・ハディッド)人気が爆発したエミリー。理由は、あまりに潔すぎていっそすがすがしいまでの脱ぎっぷりのよさ。

実はエミリー、もしこれほどまで「美しく」生まれていなかったとしたら、ごく普通の女優、それもかなりフェミニスト寄りのひとりになっていたはず。

エミリーは1991年、当時フルブライト・プログラムの協力を得てロンドンで英文学の教授をしていた作家でもある母親(当時39歳、エミリーが曰く「フェミニストで知的」)と、画家で美術教師をしていた父親(当時45歳)の間に生まれた。サンディエゴの高校でともに教職に就いていたことがきっかけで出会った2人は結婚していなかった。エミリーが5歳のときにサンディエゴの小さな町に一旦落ち着くが、幼少時はアイルランドやスペインのマヨルカ島で多くの時間をヨーロッパ各地で過ごして育った。女優への道を志し、その足掛かりにとモデルを始めるまで、家にテレビが無かったというエミリー。幼い時には父親の絵のモデルになっていたし、ヨーロッパのヌーディストビーチで家族とよく過ごしていたこともあり、裸でいることをごく自然なものと捉えている。ただ、父親の薫陶か、女性のヌードが西洋絵画において常に男性の性的な視線のもとに制作されていたことはもちろん知っており、「私たちの社会は男性中心で、ポルノを見る一方で、古典的な絵画や写真で描かれるヌードに反感を覚える人もいる。私は(裸を)そのように感じた事は一度もないわ」と語っている。彼女をインスパイアしたフォトグラファはヘルムート・ニュートンやハーブ・リッツ。どちらも女性の強さや男女逆転を好んでテーマにしたフォトグラファ。

そんなエミリーは、あまりにも早く女性的な体になってしまったため、幼少期にいじめにあったり、非常に悩んだ時期もあった。誰もが羨む完璧なボディと美しさを持つエミリーが寄せたエッセイに、それが鮮烈に表現されている。タイトルは「ベイビー・ウーマン」。彼女の声に耳を傾けてみたい。

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Text : Ryoko Tsukada

  • from LENNY

    【ベイビー・ウーマン】  エミリー・ラタコウスキー

    成長するにつれ、私の父は私をよく「ベイビー・ウーマン」と呼ぶようになった。それが私の姿だった:私はその時12歳で、胸はDカップ。だけど、夜中に起きた時など、未だに母親に彼女の部屋で一緒に寝てもいいかとたずねるほどだった。

     『アラバマ物語』の父親、アティカスのような、私の人生で最も愛すべき2人によって緊密に営まれた過程で一人っ子で育ち、半分赤ちゃんで、半分成熟した女性という宙ぶらりんな時期においても、私は安全だった。突然の混乱は、この私たちの小さな、蔦に囲まれた南カリフォルニアの家を出た所から始まった。

    8年生の時のある日、他の教師たちやクラスメートがいる目の前で、副校長が私のブラのストラップを引っ張ったのだ。彼女はそれが私の着ていたタンクトップからはみ出していて、それが学校の服装規定に反するからとそうしたのだった。

    13歳の時、家族と親戚が私が出演した演劇を見に来た。私はその時、日に焼けていて、リップグロスをつけ、ボタンの並ぶ赤いリブ編みのトップをブラの上につけ、「フォーエバー21」で買ったモッズ・スタイルのジップアップミニスカートを着て、自分がとっても綺麗になったような気がしたことをよく覚えている。劇が終わった後に家族と親戚と一緒にディナーにでかけると、ひとりの親戚が私と母に泣きついた。彼女は私の事を心配していた。そのような格好をしていると、どのように男性たちから見られるか、私が着ているようなものを着ているならば、自分の身を守る必要があるのだ、と彼女は説明した。

    同じ年、両親がディナーパーティを開いた。私は一人っ子で、大人と同じ話題で家族と話すのはごく当たり前だったので、その日も同じように自由に話し、成熟したユーモアや話題にもついても普通に参加した。デザートの前にお手洗いに立つと、ある年長の家族の友人が私をちょっとその場から離し、「あなたはもっと大人しくしていた方がいい。あなたのような女の子は目立ってはいけない」と言った。その言葉が何を意味しようと、私はまだその時、彼は私を守ってあげたいからそう言ったのであって、しかもそのアドバイスは役に立つとまで信じていた。

    15歳になり、モデルになると、周囲の大人たちが一斉にそのような若い年でモデルを始めるなんてと心配し始めた。皆、気味の悪い中年オヤジが若い女性を利用したり、エージェントが体重を落とすようにプレッシャーをかけるものだというようなホラーばりの話を聞いていたからだ。実に驚くべきことだが、実際には私の思春期から若いころまで、世界と折り合いをつけるのが一番辛かったのはモデルをしている業界から一歩出た普通の世界だった。教師たち、友人、大人たち、ボーイフレンド - つまり、よくよく精査されたファッション業界で統制された人々たち以外の、ごく普通の人たちが一番よく、私の日々成長しつつある性的な部分に関して、嫌な思いをさせたり、罪深いことだと、自分のせいだと感じさせるのだ。当時はモデルはごくたまにやるだけだったけれど、モデル業界はすべからく高圧的で、性差別的だと決めつける一方で、自身の過ちすべてをよく忘れてしまう人たちがたくさんいる事を知るようになっていた。彼らの発言はより私個人に当てられて言われているように感じたし、その分、心のより深い所につきささるのだった。

    その時の私は未だにどうやったらタンポンを入れられるかわからなかったし、女性であることに関するより複雑な問題をどう理解するかについてもまったく気にしていなかった。そして他者とのあらゆるやりとり全てが、自分はこの世界に関して何かを見落としているのではないか、そういう事を常に私に感じさせていた。大人になった今でも、学校で私のローライズジーンズからトングがはみ出していないかとか、初心者時代のアイメイク修業時代を考えると、いつも不思議に思う。ワオ、誰が私にそんなものを身に着けさせようとしたのかしら、と。

    私はどこに住んでいても、着替えたり、毎朝のルーティーンの中でも、常に鏡で自分の裸を見てきた。私は毎日自分の人生にいくつもあるそれぞれの役割に応じて準備する。学生、モデル、女優、友人、ガールフレンド、娘、ビジネスウーマン。鏡の中の自分を見て、自分の目に見入る。私には間違ったメッセージを送ってはいけないといつも自分に思い出させる声が聞こえる。

    だが、その間違ったメッセージと言うのは正確にはどんなものなのだろうか? 性的であるということの含意はつまり安っぽいという意味で、なぜならセクシーであるということは男性の欲望の只中にある、という意味だからだ。私にとって、「セクシー」とはある種の美であり、自己表現であり、素晴らしい女性であることを示す喜ばしいものだ。どうして性、セックスというものがもつ含意が男性が女性から一方的に奪い、女性が与えるものでなくてはならないのだろう? 思春期の女性の多くが「セクシー」と称される女性たちとはどういったものかという事をポルノやフォトショップされた画像やセレブリティたちから学ぶ。私たちの文化において、私たちは若い女性たちに性的なアピールを持つ女性の例として、そういったものしか与えられないのだろうか? いったいどこで、若い女の子たちは、セクシーな気分になれるか自分で決める事ができる力を身に付けた女性を見る事ができるのだろうか。社会的な眼差しによって性的な存在とされ、品位を落とされてたとしても、どこかに女性たちが自分の意思でセクシーでいられる場所があるべきなのだ。

    ジョン・アップダイクの短編、『A & P』では、あるリゾート地で若い女の子がビキニ姿で食料品店に入ると、ストアマネージャーから店から出るように言われる描写がある。彼女は新しい水着を着て、夏の日にうきうきして店に入り、挙句その気分を全て台無しにされ、自分でも理解しかねる罪の意識にまみれて店を出るのだ。女性たちは職場でも、自分のセクシュアリティが誰かの気分を害したり、あるいは意図せずして誰かを興奮させたり、嫉妬を生み出したりするのではないかと悩んでいると思う。自分の娘に今回は彼女のせいではないけれども、次からはもうちょっと肌の露出を控えるようにと説明しようとする母親たちのことを考える。

    私はこのような恥と沈黙の謝罪に満ちた世界に住むことは断固拒否する。他者からの認識や物の見方によって、自分の人生について指図されるべきではない。そして、私はいつか世界が私のセクシュアリティに関する人々の反応は彼らの問題であって、決して私の問題ではないと明確化してくれたらと願っている。

    私は自分で描いたヌードのデッサンを大学の男性教授に提出したところ、「なぜこんな立つことも困難なほど細いウエストの女性を描くのです?」と言われたことがある。UCLAでの美術のクラスでの最終学期でのことだった。自分の課題について彼に説明をするのは大変だった。私はそのデッサンで女性のウエスト、もも、膝、お尻、そういった部分の美しさを称えるつもりで描いのであって、女性の体を極端に性的なものとして描いたのではなく、強さを秘めた美しさを表現するために描いたのだ。彼は頭を振り、結果、私の挑戦は失敗し、彼も私のコンセプトを完全に聞きそこなうことになった。彼は私に、私は美のステレオタイプに惑わされているか、あるいはそれに対して圧迫感を感じているかのどちらかだと言った。私はアーティスト、モデル、そしてただシンプルに女性であること、そのどれにでもなれるどこかを見つけようともがいている。私自身が完全に所有でき、自分のジェンダーを楽しめる場所を。女性という私たちのセクシュアリティを褒めたたえることは本当に面倒で、やっかい極まりない仕事だ。けれど、もし私たちがそれに取り掛からなければ、私たちはどうなってしまうのだろう。

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