息子に家庭を放棄させる父
続いて、子育てにもフィリップ殿下の言葉が影響していく。チャールズ皇太子はウィリアム王子が誕生したころは、ダイアナ妃と育児に注力していた。ところが父フィリップから「公務より家庭を大事にするとは何事か」と迫られ、叱責されるのを避けるように次第に家庭をないがしろにするように……。こうした態度に、婚約中から夫がカミラとのつかず離れずの関係を続けていることに気づいていたダイアナ妃は、幼い頃から両親の不和を見ていたこともあり不安を覚えていくようになる。
そうして1992年、あの有名な「カミラゲート」でチャールズとカミラの不倫が公のものに。さらにダイアナ妃の友人としても近づいてきたデイル・トライオンとも関係が再燃していたことも暴露された。婚約時から気づいていたカミラと不倫関係だけでなく、友人との不貞行為。2人の愛人とのW不倫という形で裏切り続けられたダイアナ妃は、自傷行為や拒食症を患い婚姻生活は破たん。
1994年にマスコミに答えたチャールズ皇太子は「結婚生活が修復不可能なまでに壊れてしまったことがはっきりするまではダイアナへの貞操を守った」と発言。言い換えれば「結婚生活が自然消滅するまで放置し」「それまで一線を越えてないから別にいいでしょう?」ということ。それまで父親として冷え切った夫婦像を見せ、息子たちに多大な精神的被害を与えたことに対しての後悔の念も自責の念も見せない姿に国民は唖然。父フィリップ殿下が支配的な毒父であるとするなら、チャールズがネグレクト(放置)の方向性で毒父認定された瞬間だった。
そして離婚の翌年の1997年、あの悲劇が起こる。
Photo: Aflo, Getty Images
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参考資料/『Prince Charles : The Passions and Paradoxes of an Improbable Life』、『Fifty Years the Queen: A Tribute to Elizabeth II on Her Golden Jubilee』、Channel4『Diana: In Her Own Words』、BBC、「Diana: The People's Princess」