ダイアナ妃を追いつめたのは誰? 義父フィリップ王配と英国王室“毒父”の系譜
2017/08/01(火)
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1955年8月スコットランドのバルモラル城で夏休みを過ごすフィリップ殿下と幼少期のチャールズ皇太子。フィリップ殿下は大の動物好き。

Photo: Getty Images

支配的“毒父”が育てた怠惰な“毒父”

こうして親に忠実に、そして確実に抑圧されて育ったチャールズ皇太子は、恋愛観も見事に歪んでしまう。友人のアンドルー・パーカー・ボウルズと交際中のカミラ・ローズマリー・シャンドと恋愛関係に落ちるも、なぜか「30歳までは結婚しない」と宣言し海外勤務へ。そのうえ、このときカミラ以外にもデイル・トライオン男爵夫人という愛人を同時に抱えていたことはチャンネル4が暴露したことで有名。カミラはそんなチャールズとは未来がないと諦めたのか、アンドルー・パーカー・ボウルズと復縁し結婚してしまう。

1947年11月、新婚旅行中にウエディングアルバムをふたりで見つめて……。ドラマ「クラウン」ではエリザベス女王が息子たちの教育をフィリップ殿下に任せていたことも描かれている。

Photo: Getty Images

それに傷ついたチャールズは32歳にして父フィリップが指示するまま、わずか19歳のダイアナと婚約。この結婚にフィリップ殿下の“毒父力”が不幸にも最大限に発揮されてしまう。カミラを忘れられず結婚をためらうチャールズにこう仄めかした。「もし結婚生活がうまくいかなければ、5年後にカミラの元にいつでも戻っていい」。つまり、堂々とダメなら結婚生活を棄ててカミラを愛人にして楽しんでいいと進言したのだ。そして父の教え通り、この5年後チャールズは妻にこう言い放った。「愛人を持たない唯一のウェールズ公になりたくない!」。この愛人をめぐる一連の流れは、生前のダイアナ妃が自分の口で証言し、その音声は今でも残されている。

 
チャールズは何もかも父の言いなりだった。結婚にも、不倫にも、良心にも、妻への誠意にも、何もかもの価値基準をすべて他人のそれに委ねてしまう大人になってしまった。その証拠に(ダイアナに)恋をしているかと記者に問われ、英国らしいサーカズムに富んだ言葉でこう否定している。「ええ。恋が何かによりますが」。

Photo: Aflo, Getty Images

  • 参考資料/『Prince Charles : The Passions and Paradoxes of an Improbable Life』、『Fifty Years the Queen: A Tribute to Elizabeth II on Her Golden Jubilee』、Channel4『Diana: In Her Own Words』、BBC、「Diana: The People's Princess」

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